「生命の奏者」、この呼び名を聞く度に私は恐れ多い気分になる。
奏者とは音を操る者の事。きっと私のこの二つ名には「命を操る者」という意味合いが含まれているのだろう。
でも実際には「命を操る」などということは神の領域に踏み入る行為。
とてもではないけれど私にそんな力は無い。
もちろん私は力の限りをかけて皆の命を繋ぎ、皆の生活を守る。
それでも救われない命はある。逆に手は尽くしたけど可能性は薄い...そう思っていた時でも本人自身の生きる意思の力で命を繋ぐことだってある。
そう、人の命の行く末は誰であっても知ることはできない。私にできることはただ各々の生命の輝きにそっと手を添えるだけ...
天使の城 医務室
「ってえ...!」
「あら、ジン君が負傷してくるなんて、珍しいこともあるのね。よっぽど難易度の高い任務でもあったのかしら?」
「うるせー。余計な話はいいから診てくれ。それが仕事だろ?」
医務室には人が絶えることはない。天使達は日々任務に臨み、危険は常についてまわるのだから。悲しいことだけれどそれが現実だった。
逆に言えば私は必然的に多くの人達に会うことになる。多分天使の中で会ったことのない人は極僅かなんじゃないかな。
大変な日々ではあるけれど、色んな人と会う私だからこそできることがある。
・・・
「...はい!これで大丈夫!軽傷の部類ではあるけど無理はしないようにね」
「できたらな。...ありがとよ」
治療を終えるとジンは足早に部屋を去る。
たまにしか来ないのだからゆっくりしていけばいいのに...。そんな思いを巡らせたラファだったが...
すぐさまジンとは入れ違いに小柄で可愛らしさを感じさせる少年が入ってきた。
「失礼するです!」
「チルトス君、今日も元気そうで嬉しいわ」
「あ、はい!あの...!ジン先輩はここに来なかったですか!」
「ええ、でもさっき帰ったところだけど...?何か用事でもあった?」
「それが、先ほどの任務でジン先輩に助けて頂いたのですが、それが原因で怪我をしてしまったんです!謝ろうとしたんですけど任務が終わったらすぐどこかへ行ってしまって...」
「それでここに来たのね」
ラファは先ほどの治療中でのジンとの会話を思い出す。
怪我した時の状況は話したがらなかったし、確か嫌々任務に参加させられたって言ってたわ、でも...
「大丈夫よチルトス君。きっとジン君はあまり気にしてないと思う」
「そ、そうなんですか!?」
「ええ、今まで沢山の人を診てきたからわかるわ」
そう、何人もの治療をする内に私には表情を見ただけで相手の気分がわかるようになった。それがたとえジン君のようにあまり感情を表情に出したがらない子でも。
「だから今度会ったら、謝らなくてもいい。代わりにお礼を言うといいわ」
「...!わかりましたです!ありがとうございます!」
チルトスは慌ただしく医務室を去る。今すぐにでもお礼を言いたい、その気持ちの表れなのだろう。
「それにしても、ジン君がそんなことを...フフ」
普段見れない一面を知ることができる。これもまたこの仕事の良いところなのかもしれない、ラファはふとそんなことを思う。
時刻は昼頃、先に休み時間を終えた部下と交代し、ラファは医務室から席を外す。
業務のほとんどは医務室で行われるため、休み時間となると気分転換で外に出ることが多かった。
今日は公園のベンチでお昼でも食べようか。廊下を歩きながらそう考えていた彼女は実現するべく、公園方面へと歩を進める。
晴天の下、公園の青々とした草木は活き活きと生命力に満ちているように見えた。
そんな中、鮮やかな桃色の長髪をなびかせ、機敏に動き回る一人の少女がいた。
日光を反射させて輝く刃を振り下ろすその様子は、まさに眼前に迫る敵の命を絶たんとしているかの如く気迫に溢れていた。
ラファは瞳にその姿を捉えた瞬間、思わず身震いした。
実際には打ち倒すべき敵などその場には存在せず、ただ少女がナイフを手に実戦を想定した訓練をしているに過ぎなかったのだが...。
そのゾクッとした背筋の凍るような感覚は、ラファにある記憶を呼び覚まさせる。
脳裏に浮かんだその光景は現在捉えているそれとダブって見えた。
「ラファさん...?」
視線を感じたのか少女は手を止め、呼びかけてきた。
ラファは呆気にとられていたため一瞬反応が遅れたが、即座にいつも通りの穏やかな笑顔を見せる。
「あ、ああ、ごめんなさいね、邪魔しちゃったかしら?」
「いえ、こちらもしばらく気づかなかったみたいで、すみません」
はにかみながら照れ笑いをするその様子はいつも通りであり、ラファはこの時初めて彼女がレミであると確信できた。
安心したところでラファは一つあることに気づく。
「その右腕...」
「これは...さっき転倒した時に擦りむいちゃって...。でもこれくらいはだいじょ...」
「いいえ」
レミの言葉を遮るように否定したラファの表情は真剣そのもの。今度はレミが息を飲む。
「どんなに軽い傷でも時には感染症を起こしてただでは済まないことだってあるの。それに貴方の身体は弱ってるわ。聖気の流れを診なくても、一目でわかる」
見抜かれてしまった...と、レミは感じた。現に彼女は前日に大きな任務を終えたばかりにも拘らず、今日は朝から特訓をしていたのだ。
「医務室に行きましょう。傷を治療するついでに少し休んでいきなさい」
傷の処置自体は大した時間もかからずすぐに終わった。
レミはベッドに腰掛け、それに面するようにラファも用意した椅子に腰かけた。
「では話を聞きましょうか」
「へ?」
意図がよくわからないレミは眼を丸くする。
それを察したラファは付け加えて説明した。
「無理してまで必死に訓練してたことには理由があるんじゃないかと思って。もしよければ話してくれないかなって。
私も治療する中で色んな人の話を聞く内に、相談事をされることが多くなったのよ。今ではこういうのも仕事の内だと思ってる。話を聞くことでひょっとしたら何かあなたの力になれるかもしれないわ」
レミは俯いて、足元を見つめている。彼女は迷っていた。そんな様子のレミに対し、ラファは決して急かすことはしなかった。
しばらく間を置くとレミは顔を上げ、ゆっくりとした口調で話し始めた。
「私...これまでは杖を使った魔法主体で戦ってきたんです。でもそれだとどうしても接近戦が弱点になってしまって...」
「ということはナイフを使っていたのも...」
「はい、元々はガヴィリさんの提案だったんですけど、ナイフを武器にして魔法も扱えるようになれば弱点を克服できるんじゃないかって」
「そうね、それが可能なら万能な戦い方ができると思うわ」
「ただ、なかなか思った通りにはいきませんでした。杖を使わず魔法をコントロールするのは難しいですし、そもそもナイフの扱い自体もまだ未熟なままです。
このまま練習を続けて本当に強くなれるのか...最近は疑問に思うようになりました。でもそんなことガヴィリさんには言えないですし...」
「...なるほど、よく分かったわ。一つ聞いてもいい?」
「はい」
「レミちゃんは何故強くなりたいのかしら?」
「それは...ある人を守りたいから...です」
「そう、それが『あなたの』強くなりたい理由なのね...」
そう言うと「うーん...」と唸り、考え込むラファ。
「そうね、少し昔の話をしましょうか」
「昔の話...?」
何故ここで過去の話をするのか、一瞬疑問に思ったレミだったが、確信に満ちたラファの顔を見て考えを改める。恐らくその「昔の話」に今の私の悩みへの解決の糸口があるのだろう...と。
レミに話を聞く心の準備ができたことを表情を見て確認したラファは話し始める。
「そう、それはまだ天使軍が12小隊の旧体制だった頃の話。私はそのころ第7小隊にいたわ...」
過去 天使の城 庭
「あら、あなたが今日一緒に任務へ参加してくれるっていう第1小隊から来た子?」
「あ、はい!よろしくお願いします!」
その子の第一印象は素直で明るくて、真面目といった感じだったわ。実際それは間違ってなくて、私もその子が可愛くなってついついいろいろとお節介を焼いちゃったのよ。
その頃彼女は中級で、同世代の仲の良い子達は既に上級天使になってた...
だからあの子は相当の劣等感や焦燥感を抱えてたんだと思う。それを口に出したことはなかったけれど、ある出来事の後私はそれを理解したわ。
過去 天使の城 公園
私はその時任務を終えて自室に戻る途中だった。公園を通りかかった時、私は目にしたの。
彼女が鬼気迫る表情で特訓をしていたのを。
練習していたのは風属性魔法。それまでは水属性を主体としていた彼女がさらに上を目指すために身に着けようとしていた。
風属性を選んだ理由は、多分以前私がその子に風属性の素質があるって言ったから。
まあそんなことはどうでもよくて、とにかく彼女のその気迫に私は思わず一歩退いていたわ。
その気迫は当時既に上級天使になっていた彼女の友人達のそれをも凌ぐものだった。
『とにかく追いつきたい』、その想いが彼女に強い意思を与えたのね。
「ガヴィリ!」
「...!ラファさ...ん...」
私の存在に気付いた時、フッと気が抜けたのかその子、ガヴィリはその場で倒れ込んでしまった。
すぐに私が手当をして大事には至らなかったんだけど、その後も無理する癖は抜けないみたいで何度か注意したわ。
それからはちゃんと無理しすぎない範囲で努力を続けてた。
努力はしっかり実を結んで、知っての通りガヴィリは上級天使に昇級し、大天使も経験した。そして現在は跳疾風隊の隊長に至るまでになった。
「どう?この話、どこか似てると思わない?今のあなたと」
「...はい。」
レミは考えた。あのガヴィリにも葛藤を抱えた時期があったということ。また、戦術を大きく変えるという困難な経験を自らがしていたこと。それらは現在の自分と共通する部分であった。
「ガヴィリはあなたと同じ伸び悩みを経験してる。だからきっと今抱えている思いも隠さず話せば理解してくれると思うわ
それに今まで通りの杖かナイフに持ち変えるか、どちらが正しいかは結局のところわからないけれど、あのガヴィリに似た気迫を持ってるレミちゃんならどちらにしてもなんとかしてしまう...私にはそんな気がしてるの」
「...!」
ラファのその言葉を聞き、寒くて震える手に暖かい手を添えてくれたかのような感覚を覚える。目には涙が浮かび、景色が滲む。
「ラファさん...、ありがとうございます。私、まずガヴィリさんに今の気持ち伝えてこようと思います」
ラファはニッコリとほほ笑む
「ええ、それがいいと思うわ」
「ありがとうございました!」
レミは医務室を後にし、ガヴィリの下へ向かうため、歩を進める。
その途中、現大天使であるジンの姿を見つける。
その直後、「ジンせんぱーい!!!」と城全体に響き渡るのではないかと思える程の叫び声がした。
「やっと見つけたです!」
その声の主、チルトスは全力疾走でジンの下へと駆け寄った。
「声でけーぞ。そんな声出さなくても聞こえる」
「はい!すみません!!」
ようやく目的の人物を見つけたからかテンションが高いチルトスは、その謝罪の声もまた大きかった。しかしジンもつっこむのが面倒くさかったのか「何の用だよ」と、手短に済ませようとする。
「今日は助けてもらってありがとうございました!!!」
「お、おい、だから大声は...!周りから見られてるだろーが!...それを言うためにわざわざ来たのか?」
「はい!」
まさかとは思っていたがそのあまりにも真剣な表情に、ジンは察する。本当に感謝の言葉を伝えるだけの目的でにこんな時間まで自分を探し回っていたのだと。
「...助けた訳じゃねえ。今回の希少種とやらの捕獲任務をさっさと終わらせるためだ。捕獲係のてめーが怪我すると長引くからな。...とりあえず言葉だけはありがたく受け取っとく。だからてめーもとっとと帰れ」
「はい、お疲れ様でした!」
タッタッタと勢いよく走って帰っていくチルトス。ジンもまた注目されるのを嫌ってか足早に去っていく。
その光景を見ていたレミは少しジンを見直す。
普段はラグナを戦闘訓練と称して苛めているだけの人だと思っていたが、時には人を助けることもあることを知ったレミだった。
自分がガヴィリの過去のことを知らなかったように、親しい間柄の人物であっても知らないことは沢山あるにかもしれない。ましてやジンのように嫌悪感を抱いていた人物であればなおさら...。
そんな考えを抱いたレミは、どんな相手であれ理解しようとする努力をしよう、そう密かに決めたのだった。
・・・
「ふう、今日も無事終わってよかった...」
医務室の灯りを消すと、ラファは静かに部屋を後にする。
再び日が昇れば、この部屋にはひっきりなしに天使達がやって来るだろう。ラファにとって今日のこの一日は決して特別なものではない。明日も、明後日もまた天使達の心と身体を救うラファの戦いは続いていくのだ。
ラファは帰路につきながら街の方から流れてくる音楽を聴いてあることを想う。
やっぱり「生命の奏者」という二つ名は大それた名前だと思う。
ただ、私は「生命の奏者」とまでは行かなくとも、「調律者」になりたい。
命の流れを正し、すれ違う人と人の想いを同じ方向に導く、そんな人に...