薄暗い部屋の中に、男が1人、佇んでいる。そこには男以外の姿はなく、無音が空間を支配している。
男は無表情のまま何もない空間を眺めていたが、ふとその表情に笑みが宿る。
「久しぶりですね。最後に会ったのは・・・・・そうそう、王宮が陥落する直前でしたか」
誰もいない空間で、男は独り言のように話しかける。その相手は、もうこの世にはいない。そんなことは、この男だって十分に理解している。
それでも彼がこの場所にやってきたのは、そこに意味があるからに他ならない。
「貴方が倒れて以降、この国は自由を手にし・・・・・日々、目覚ましい進化を遂げていますよ」
これまでの日々を懐かしむように語る男。その表情には喜びが感じ取れる。
「一人一人が自分の意志で日々を生きていますから、もちろん小さないざこざもあります。ですが・・・・・あなたがかつて目指した支配による平和を懐かしむ者はいません。例えあの頃より平和でないとしても、民は自分の意志を大切に育てています」
男は、かつて自分が使えた存在を思い浮かべる。彼が生きていたら何を思っただろうか。
自らの望む国からかけ離れた今に怒るだろうか、民を愚かだと嘲笑するだろうか。その答えは、もはやこの男にすら推し量れない。
「・・・・・不思議なものです。かつて貴方の部下として貴方の望む支配に従っていた私が、今では彼らの側に立ち、彼らが自由の為に今日を・・・・・明日を生きる日々を助けている。そして、そんな日々を私は心から望んでいる・・・・・貴方は、こんな私を笑うかもしれませんね
そんな風に語りかけながら、自分でも可笑しくなったのだろうか。笑い声が溢れてくる。
「・・・・・あの頃の貴方なら、私のこんな気持ちはきっと理解できなかったでしょうね。いや・・・・・今でも理解できないかもしれません」
そこまで言うと、男は懐から一輪の花を取り出し、誰もいない、何もないその場所に手向ける。
「・・・・・いつか、私が天命を全うするかこの命を失ったときは、冥府の底で語らうとしましょう。この先の一生で私が知るであろうたくさんの経験を手土産にしますから、楽しみにしていてくださいね・・・・・
そう言うと、男は自らが手向けた花に背を向ける。
かつて、今は亡き王の元で支配者の名を借りて自らが行ってきた非道の数々が、今でも男を苦しめている。いずれその報いを受けるだろうと、彼自身もよく分かっている。天国や地獄なんてものがあるかどうかも分からないが、もしもあるとすれば自らが辿る先は分かり切っている。きっとそれは地獄よりもなお深い煉獄の先だろう。今同じ時を生きる友と、愛しい者たちと同じ場所へ逝けるなどという甘い考えは最初から持ち合わせていない。
「キシスー?きーしーすー?どこに行っちゃったんだろ・・・・・」
「おや、妹様が及びですね・・・・・少し長話をし過ぎましたか」
それでも、男に迷いはない。長い寿命を持つ自分がどのような結末を辿ろうと、自分のやることに変わりはない。寿命が来るまで生き続けるるかもしれない。自分を恨む者によってこの命が奪われるかもしれない。想像もできないような凄惨な末路が待つかもしれない。それでも、男の使命に変わりはない。この国の為に、この国に生きる人々の為に、大切な人の為に、愛する人の為に、自分の命はその為にあるのだ。
「妹様、お呼びになりましたか?」
「あっ、いたいた!探したんだよ?お兄ちゃんとリムネさんが読んでるから、早く行こう!」
「それはいけませんね、急ぎましょうか」
「うんっ!」
いつか、命の果てる時が来て、自分が彼の元に逝く日が来たのなら、自分がこれまで学んだ、そしてこれから先学ぶであろうたくさんの事を教えてやろう。支配することしか知らなかったあの独裁者が辟易するくらい、たくさんの事を話してやろう。どうせ地獄に落ちる身だ、それくらいの楽しみを持っていっても罰は当たらないだろう。
「ところでキシス、何やってたの?」
「大した事じゃありません。・・・・・ちょっとした、世間話ですよ」
いつか、煉獄の火の元で。咎人が二人、出会うだろう。