私には、三人の姉妹がいる。
【She. 】
「シイちゃん?」
マイ姉の声で、はっと我に還る。
顔を上げれば、また心配そうな顔。
「大丈夫?」
「大丈夫だって。ちょっと疲れてるだけ」
無理に笑う。
しおらしい私なんて柄じゃないから、笑ってみせる。
手元を見れば、玩んでいた鎖が黒く変色していた。
嗚呼、やっぱりダメか。
「何か、悩み事?」
「んーん。ちょっと、昔を思い出してただけ」
今となっては昔のこと。
まだ、何も知らなかった遠い彼方。
私たちは、四姉妹だった。
マイ姉、私、上の妹・ユイ、下の妹・ケイ。
本当の姉妹だったかなんて、誰も知らない。
ただ、記憶に有る限り、私達は四人だった。
優しいマイ姉に守られ、貧しくとも、家はなくとも、私達は幸せだった。
「シイ姉?」
ぼんやりと廊下を歩いていたら、ばったり妹と鉢合わせた。
相変わらず、氷の塊を辺りにふわふわと浮かべている。
「………ユイ」
「なんか顔色悪いね?寝不足?」
「べつに。たいしたことじゃない」
ひょいと覗き込んでくる彼女から目をそらす。
つい先日『騎士様』となり、別室を貰って出ていった妹。
ずっと四人でいた、それを破った、妹。
「何よー、感じ悪いなぁ」
「べつにー。じゃあね」
幼く頬を膨らませたユイから、身を翻して背を向けた。
「………ふん、シイ姉のばーか」
………言えなかった。
あんたが垂れ流している、強すぎる魔力と冷気が、同じ部屋で暮らす私とケイにはひどく堪えたこと。
さりげなく諫めたのは、自分のためか、それともユイのためか。
………結局、それは不和を生んでしまったけれど。
「性格悪いなぁ、私………」
『サタン様の、力となれ』
あの日。
ムート様に、四人揃って拾われた日から。
少しずつ、私達は道を違えてしまっている。
「シイお姉ちゃん?」
肩を揺すられて、眼を覚ました。
どうやら、机に突っ伏して眠ってしまったらしい。
「………ケイ」
「そんなところで寝てると、風邪引いちゃうよ」
「マイ姉は?」
私の端的な問いかけに、末の妹は黙って首を降った。
細い首が左右に動くのに合わせて、柔らかな髪が揺れた。
「そっか………」
「まだ、何も。連絡がないだけだもの、状況が悪いとは限らないよ」
「………そう、ね」
軍の参謀として、騎士に付き従い遠征に行ったマイ姉が帰ってこない。
その知らせを聞いたのはもう一週間も前で、万が一に備えて待機していた別の騎士が援軍に発ったがまだ何の伝達も無かった。
「シイお姉ちゃん、ちゃんとベッドで寝ないと駄目だよ」
「ケイもひどい顔。今日は早く寝な」
頭を撫でると、ケイはこくりと頷きおとなしく寝室に下がっていった。
見送り、持ち上げかけた上半身を再び机に投げ出す。
………魔力もあり、頭も切れ、軍師としても活躍する姉、マイ。
………四姉妹のなかでも抜きん出た魔力と戦闘のセンスで、第一線で戦う妹、ユイ。
………まだ幼くとも、ムート様と同じ貴重な聖魔法の使い手として将来を期待されている妹、ケイ。
「………じゃあ、私は?」
得意魔法はよくある闇系、魔力はそれなりにあっても傑出している訳ではない。
戦いに出れば一兵卒と変わらず、自分の命を守るために敵の命を奪い薙ぎ払うだけ。
「私が、ここにいる意味は………?」
誰のために私は戦う?
偉大な魔王であるサタン様?
拾ってくださったムート様?
「………っ」
部屋から出て、廊下を急ぐ。
行き先は、決まっていた。
「………シイ、大丈夫」
「………っ………うぅ、な、」
「………」
大丈夫じゃない!と口を開いたら落ちる気がして、私は必死で鳥型魔獸の首にしがみついていた。
夜のとばりが降りた城内を走り、叩いたのはとある戦士の部屋。
タスクさんは、私の言葉を聞くなりいつもの無表情のまま厩へ向かい、戦士の特権で騎獸を二騎連れ出した。
そうして、地を走る鳥の背に乗り、私達は荒野を駆けている。
………空を飛ぶ騎獸でなくて本当に良かった。タスクさんは慣れていても私が死ぬ。
「ピィ?」
並走しているタスクさんの肩から、フレンがぴょこんと私の肩に乗ってきた。
励ましてくれてるんだろう、ありがとうフレン。
元々、このフレンを助けたのが、私がタスクさんと仲良くなれたきっかけ。
多くは語らない、多く聞かない。
そんなタスクさんとのんびりするのは、私にはとても心地よかった。
「………シイ」
ふと名を呼ばれ、顔を上げた。
遠くに、此方に向け早足で向かってくる一団の影が見えた。
「あっ、」
「マイを迎えに行ったの、」
「あ、騎士のオルデガ様です!」
「………当たり」
目を細め、遠くを見据えたタスクさんがそう呟いた。
と、言うことは、あそこにマイ姉が?
「シイ、騎首を返して。追い抜かれる」
「えっ、」
急ブレーキをかけて魔獸を止め、すぐに反転させる。
ぐらんぐらんと体が振られて、振り落とされそうになるのを必死でしがみつく。
「あちらの方が足が早い」
私の騎獸の手綱も握りしめ、並んで走りながらタスクさんは背後を振り向いていた。
四つ足のケモノ形の騎獸に乗った影が二つ、月に照らされて此方へ………城のある方角へ駆ける。
一つには、オルデガ様と共に救援に向かった戦士アスアさん。
そしてもう一つに、偉大なる騎士、焔消しのオルデガ様。
………その背に負われた、鮮やかな金髪が翻った。
「マイ姉!!」
私の叫びに、オルデガ様が気づいた。
少しだけ速度を落として並走する。
「シイ、何してんだぁ、こんなとこまで」
「オルデガ様、マイ姉は、マイ姉は!?」
「やられた。一刻を争う。早く城に戻るぞぉ」
頭を、殴られたような衝撃があった。
ぐらりと傾きそうになる体を、なんとか保つ。
「………アスア」
「わかった。シイ、私の後ろに乗りなさい」
「タスク、そいつら頼んだぞぉ」
タスクさんがこくりと頷く。
騎獸を寄せられ、飛び移りアスアさんの腰に抱きついた。
「飛ばすぞぉ!」
オルデガ様の一声で、ケモノ形の騎獸はタスクさんを置いてぐんとスピードを早めた。
オルデガ様の背中に括られぐらぐらと首を揺らす、マイ姉の白い顔をずっと見ていた。
到着と同時に、静まり返っていた城内は一気に慌ただしくなった。
マイ姉が運び込まれたのは、医務室ではなく広い実験室。
中央のベッドに寝かされたマイ姉の首と腕にはめられた、黒々とした不吉な枷。
マイ姉を背中から下ろしたオルデガ様が、がくりと膝をついた。
「オルデガ!大丈夫!?」
「やっべぇぞぉ、あの枷………魔力を無尽蔵に喰らいやがる………」
魔力を封じる腕枷と、魔力を喰らう首輪。
マイ姉に駆け寄ろうとしたケイが、ムート様に止められて泣いていた。
ケイを抱き寄せ、怒りをこらえてユイが前に出た。
「ちょっと、何よあれ!!あんなの、あたしの氷魔法で………!!」
「落ち着け、ユイ。あれに魔法は効かない。全ての魔法攻撃を喰らう」
「じゃあどうしろっていうの!!物理的に壊せば良いじゃない、早くなんとかしてよ、じゃないとマイ姉が!!」
「壊すにしても、首に隙間なく巻き付いている………かなり危険な賭けね」
「解呪できる者はいるか?」
「探してみましょう」
バタバタと皆が動く。
マイ姉は、ぴくりとも動かない。
大好きなマイ姉。
強く、優しいマイ姉。
………魔力を吸い付くされれば、死が待つのみ。
「ムート様、私が………やります」
今にも噛みつきそうなユイを制して、前に出る。
「シイか」
「やらせてください」
「………お前の力でか。どうする?」
平凡な闇魔法しか使えないままじゃ、大好きな姉妹に顔向けできない。
私もヒアナの一人。
私が命を懸けて守るべきは、大切な家族。
「できます」
ずっと、鎖を使って練習してきたオリジナル魔法があった。
きっと、この魔力を喰らう首輪を破壊するために、練習してきた。
手に魔力を捏ねる。
僅か、辺りに散った魔素がパチパチと爆ぜた。
生み出していくのは、上等闇魔法ブラックホールの理論を踏襲した逆魔法。
「行っけぇ………!!」
空間ではなく、物質そのものに干渉して超重力を発生させ、歪みを生み、物質を破壊する。
グラヴィティ・アタック。
ユイみたいに派手じゃないけど、ようやく編めかけた、私のオリジナル魔法。
「っく………!!」
マイ姉の首輪にべたりと付けた手のひらが、激しい魔法の抵抗に遭いまるで鉄板に付けたように熱い。
肉の焦げる嫌な臭いがしたけれど、手の痛みなどどこかへ飛んでしまっていた。
すぐそばにある白い顔。何も写さない瞳。
いやだよ、マイ姉。
いつもみたいに笑ってよ、マイ姉。
「マイ姉ぇぇぇっ!!」
ばしゅ、とひときわ激しい抵抗があって、私は吹っ飛ばされた。
跳ね起き、すぐにまたマイ姉に駆け寄ろうとした私の両腕に、柔らかな腕が二本ずつ、巻き付いた。
ユイと、ケイだった。
「ちょ、離して!早くなんとかしないと!!」
「でもシイ姉、その手のひら、」
焼けただれた醜い両手。
ふと見下ろして………私は、かわいい妹たちに、笑った。
「あんたたちの幸せは、姉の私が守る」
だから、大好きなマイ姉のことも、私が、守る。
再びマイ姉に触れる。
もう、痛みも熱さも感じなかった。
抵抗は幾分か弱まっていたけれど、同時に自分の中の魔力がどんどんと消費されていくのも分かる。
大丈夫。
大丈夫。
大丈夫。
「マイ姉、」
バキリ。
何か固いものが砕ける音がしたと共に、
私の意識は、ブラックアウトした。
「シイちゃん?」
「………ん?」
「どうしたの、黙りこんで」
「ん。ちょっとね、色々思い出してた」
そう?と、マイ姉が笑う。
あのとき。
無事に首輪を外すことは出来たけれど、腕枷を破壊する前に私の魔力は尽きてしまった。
マイ姉の腕には今も呪いの腕枷が嵌まっていて、マイ姉の魔法発動を封じている。
それでも、首輪と違って命に関わるものではないからと、解呪は一時見送られた。
いずれ、腕のよい解呪師をムート様が見つけてきてくれるはずだ。
「………シイちゃん」
「何?」
「グローブ、外したら?」
「ん?いいよいいよ、見せて気持ち良いものじゃないし」
私の両手には、黒いグローブがはまっている。
あのとき、首輪の抵抗にあい焼けただれた手のひらは、完治することなく醜い姿のまま。
………それでも構わない。
この両手は、私が命を懸けて、マイ姉を救った証だから。
何もできなかった私が、自ら掛けていたリミッターを棄てて、家族を守った証だから。
「ねぇ、マイ姉」
「なに?」
「私ね、」
月日は立ち、立場は変わっても。
それでも、変わらない絆。
私たちは、かけがえのない姉妹。
「私ね。マイ姉も、ユイも、ケイも、すっごく大事なんだ」
だって、家族だから。
そんな私にマイ姉は、一言
「知ってるわ」と言って、笑った。
Fin.