WEAKEND
- 創作コンテスト2014 -

 ――ここは、どこだ……?

 辺りには何も見えなかった。ただ、全てを飲み込むような闇が、果てなく広がっていた。

 どことも分からぬまま辺りを見回していると、不意に一条の光が差した。俺は足下もおぼつかない闇の中を、その光に吸い寄せられるようにして歩き出した。

 硬くも軟らかくもない奇妙な感覚を両足がぼんやりと伝えてくる中、光は少しずつ強さと大きさを増していく。それとも俺の方がそれに近づいているのだろうか。

 やがてその光は、視界の全てを覆い尽くし――

 

 

「……ェン、ラグナ・リシェン!」

 まどろみを断ち切ったのは、男性教官のきりっとした声だった。僕――ラグナは慌てて顔を上げ、現状――今が魔法学の講義の最中だということを思い出す。頬の違和感に気づいてよだれを拭ってから立ち上がった。

「は、はい!」

 教官は、左手に持った教科書に一瞬目を落とすと、立て板に水で僕に問うた。

「基本的に、剣よりも杖を装備した方が魔法を使いやすいと言われている。それはなぜか答えよ」
「……えーっと………………」
「……寝ているから答えられないのだ。講義はしっかり聞け」
「はい……すみません……」

 消え入りそうな声で謝辞の言葉を述べ、僕は再び席に着いた。同時に、右隣から声がかけられる。

「やーい、怒られてやんの」
「じゃあ、隣の……セト・バリユ、答えよ」
「え゛……」

 唐突に指された右隣の見習い天使――セトは、「あー……うーんと………………」と、直前の僕と似たような顔で数秒唸った。その様子を見た教官は、はあーっ、と大きくため息をつくと、「もういい。座れ」と呆れ声で言った。

「……じゃあさらに隣の、フリズ・カトレミット」

 次に指したのは、セトのさらに隣に座る、ラベンダーの髪の下級天使――フリズ。だがこの瞬間、教官は決定的なミスを犯した。セトも同じことを思ったのか、「あーあ……」という顔をしている。フリズはすっと立ち上がり、小さな口を開いた。

「はい、剣と杖で魔法の使いやすさが異なるのは武器の材質に由来します。現在天使軍で使用されている近接武器はそのほとんどが鉱山から採掘された鉄鉱石から鍛造されていますが、鉄鉱石は魔力親和性が低く、さらに鍛造という作業も素材の魔力親和性を多少なりとも犠牲にするので、結果として装備者が魔力を練る際には特に補助効果を及ぼすことが出来ません。それに対して杖系統の武器は樫、魔土など様々な素材から製造されますが、物理攻撃に使用される機会が少ないため鉄鉱石製の物は少なく、魔力親和性の高い素材がほとんどです。製造方法もそれを喪失しにくいものが採られているため、完成する杖は高い魔力親和性、つまり魔法使用時の補助効果を備えています。以上の理由から、剣と杖で魔法の使いやすさが違うのです。逆に言えば、魔力親和性と硬度の両方を兼ね備えた素材、製法ならば杖と遜色ない魔法を放てる剣も製造可能ということです。歴代大天使が所有するジャジメントシリーズの武器はそのような素材、製法で作られたのだと――」
「も、もういい! 分かった!」

 珍しく狼狽えてフリズを止める教官の姿に、講堂のあちこちから笑い声が起こる。それは、僕の左隣に座る桜色の髪の下級天使――レミ・テナハも例外ではなかった。

 幼なじみの朗らかな笑顔に目を向ける僕は、ふと後頭部に妙な気配を感じた。振り向くと、セトが何やら熱っぽい視線でレミを見つめている。どういう意味だろうと考え始めたとき、終業を告げるチャイムが、フリズに仕事を取られた哀れな教官の気まずい時間と僕の思考を断ち切った。

 

「だからねセト君、属性説には主に3種類あって、一番主流なのが……」

 講義終了後、お昼時で賑わう食堂の一角で、フリズの口から理路整然とした解説が流れていく。隣に座ってそれを聞きながら課題プリントに目を落とすセトは、「うーん……」と唸りながらペンでこめかみを叩いている。

「ラグナも、入隊試験が終わったからって勉強やめちゃだめよ? 昇級試験でも筆記があるんだから。三界時空説の辺り、結局理解できてないんでしょ?」

 僕の隣でピラフをぱくつきながら、レミがいつもの姉のような口調で言う。

「やってるよ! ……少しずつ」

 後半で口ごもってしまったのを誤魔化すように、目の前のカレーをはぐりと頬張った。熱い香りと刺激的な辛みが、講義で疲弊した精神をほぐしていく。

 やがて勉強を切り上げたセトとフリズの皿も空っぽになった頃、城の時計塔に設けられた鐘が13時を告げた。それを耳にしたレミが、いっけない、と声を上げる。

「ラグナ、急がないと遅刻しちゃう!」

 そう言って皿を返却カウンターに持って行くレミを見ながら、何を……としばらく考え、僕はようやく思い出した。今日は13時30分から、跳疾風隊の任務が入っている。

「やばっ! あ、じゃあね、セト、フリズ、また明日!」

 ガタンと立ち上がり、早口で2人に別れを告げた僕は、揃って手を振る友人たちを横目に見つつ、青いラインが入った白のスカートを追った。食堂を出る直前、「さあ、午後は地理の講義だよ! 頑張ろう!」「うえぇ……」という声が聞こえてきて、頑張れセト、と祈りつつ、内心では「任務が入っててよかったぁ〜」と安堵した。

 

 大急ぎで寮に戻り、愛剣ブレイクンを持って部屋を出た頃には、既に腕時計が10分を回っていた。同じく腰に短剣を差したレミと共に、指導を食らうギリギリの速度で廊下を突っ切っていく。

「今日の任務って何だっけ?」
「えっと、確か魔物退治。ランクB」
「B!?」

 思わず、軽く叫んでしまった。というのも、最近――この間の大会以来、妙にランクの高い任務が多いのだ。どうやら跳疾風隊に限らずほぼ全ての隊がそうらしく、医務室のラファさんも「近頃、怪我で医務室に来る人が多いのよ」と話していた覚えがある。さすがに一線を越えた任務――つまり、死者を出すようなことは一度もないが、このままの状況が続けばそれも時間の問題ではないかとも言われている。そしてそうなる可能性が最も高いのは、任務に出る天使の中で最弱の天使――つまり僕ということに――

「大丈夫よ」

 唐突に、右手に何かが触れる感触。その後、その手がしっかりと握られる。

「ラグナは私が、ちゃんと守るから」

 きゅっと繋がれたレミの手は温かかった。その温度が手を通じて流れ込み、不安に駆られた僕の胸の奥を満たしていく。

「うん」

 答えると同時に、頑張らなきゃ、と思う。レミが僕を守ってくれるなら、僕もレミを守らなければならない。いや、たとえレミがそうでなくても、僕はそうすべきなのだ。

 「僕も――」

 レミを守る。そう言おうとした瞬間――

 

 突如、僕の足が止まった。

 意図的にではない。体は前に出ようとするのに、両足だけが石になったように動かない。

 見えない力に引き剥がされるように、レミの手が離れた。だが彼女はそれに気づかないかのように先を歩いていき、その姿が小さくなっていく。右手を伸ばしたが、全く届かない。

 風景も遠ざかっていく。辺りが一瞬で全ての色彩を失い、形もまた、桜色の髪を追うように消えていく。後にはただ、小柄な僕の体と、虚無な暗闇だけが残された。

 ――こんな場所を、僕はどこかで……。

 そんなことを考える間にも、僕を取り残した光はどんどん収束していく。

 ――嫌だ。こんな場所で、レミと離れ離れになるなんて、死んでも嫌だ。

 右手をなおいっそう強く伸ばすが、もはや一つの光点のようになったそれは、僕の手をあざ笑うように逃げていき、そして視界の全てが暗闇に覆い尽くされ――

 

 

「レ……!」

 最初に感じたのは、顔にぶつかる風と、背筋を伝う冷や汗だった。次いで、鍾乳石が垂れ下がる洞窟の天井、どこからか差し込む光を目で知覚する。そこまで分かって初めて、俺は自分の状況を――夢から覚めたと思っていたら、そこがまだ夢の中だったということを意識した。

 俺は飛び起きるのと同時に、夢の中でそうしていたように、右腕をまっすぐ伸ばしていた。だが、よく鍛えられた腕の先にあるはずだった手は無かった。腕は肘の辺りで断ち切られ、赤い線引きの入った服の袖もそこで終わっている。

 俺は手を下ろしてから、ゆっくりと立ち上がった。ちょうどそのとき、洞窟の壁を反響して、2人分の声が響いてくる。反射的に身構えたが、やってきた人を見てすぐに力を抜いた。

「あれ? ラグナさん?」
「こんなとこでどしたんスか?」

 1人は赤い髪の男、もう1人は金髪を背中まで伸ばした女だった。見知った顔の2人は、“上”で買える最高級の装備に揃って身を包んでいる。

「やあ、シュラ、リルル。元気そう……」

 言いかけて、俺は自分の頬の辺りに違和感を感じた。拭ってみると、手の平に熱い液体が当たる。涙だ。

 どうして、俺は泣いていたのだろう。今の夢のせいか? だが、夢の中は何の変哲もない日常風景だった。なのになぜ……

 いや。俺は、その答えを知っているはずだ。

 俺は心の奥底で、帰りたい、と渇望しているのだ。みんなに会いたい、と。セトに。フリズに。ガヴィリに。ラッズィに。ケシルに。サキに。ジンに。そして、レミに。

 あの夢の最後に、「守る」という一言が言えなかったのも、当然の因果だ。数ヶ月も城に帰らず、地上界の“悪夢の洞窟”の200階を越えたところにたった1人で籠もっている人間に、何が守れているというのか。

「どうしたんですか? ラグナさん」

 リルルが俺の顔をのぞき込むようにして問いかけてくる。

「……いや、何でもないよ。寝てる間にちょっと夢を見ただけだ」
「このフロアでよく寝られるっスね、魔物も強いんスよ」

 シュラが感心と呆れをブレンドした顔で笑う。

「はは、我ながら危機感の無いことだよ。さて、そろそろ行かなきゃな。じゃ、俺は先に行くよ」

 

 ――この冒険が終わったら、一度天界に帰ろう。みんなに教えてやらなきゃ、ラグナはちゃんと元気でやってます、って。

 左手に剣を、無い右手に疼痛と郷愁、それに少しの希望を握りしめ、俺は下階へと足を踏み出した。

 

 

Fin.



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