WEAKEND
- 創作コンテスト2014 -

視界が悪い。
霞がかったその先に目を凝らす。

曇天の空に鬱蒼と生い茂る密林、否応なく体温を奪う冷気、虫の音も聴こえない静かなこの地に漂う霧の向こう側にあるのは…小屋、だろうか。

胸の高さまで上げた手のひらを握り、開いた。
それを二、三度繰り返して、一息をつく。

 

…重要な任務だ、失敗は許されない。
この背に負う黄襟は伊達じゃないという事を、皆に知らしめなくてはならない。

「…みんな、用意はいいか?」

この霧のせいで影しか見えないが、後ろに着いてきている仲間に声をかける。

揺らぐ様に頷く彼らを後目に、僅かに重く感じる足を一歩、踏み出した。

それとほぼ同時に、小屋の中から人影が現れる。

まだこちらに気づいてはいない…好機だ。
生い茂る雑草を静かに踏み抜く。
一歩、また一歩、相手の顔が見える位置まで…

 

 

「シェナ…姉…?」

考える前に足は動いていた。
目の前まで着いたところでシェナ姉の両肩を掴む…冷たい。

「シェナ姉!なんでこんな所に…いやてか俺、天使になれたんだ!襟見てくれよ上級!上級になったんだ、いっぱい勉強したんだ!」

じわりと溢れる涙に邪魔されて、うまく表情が伺えない。
こんなに、近くにいるのに。

「フリズが手伝ってくれてさ、あ、フリズってのは天使でさドジでヒトの名前すら間違える奴でさ、俺のことセタさんなんていうんだぜ?」

切れずに言葉を紡ぐ。
呼吸が追い付かなくなるほどに、報告することがたくさんあった。

「これで…やっと、やっとシェナ姉に楽させてやれるんだ。
ほら、パグゥも一緒にさ、また一緒に。そしたら…」

俯きながら、肩を掴んでいた手を力なく落とす。

「…なあ、なんで何も言わずに居なくなっちまったんだよ」

返答は、なかった。
代わりに温かい手が頭に触れる。

…ああ、小さい時、こうやっていつも慰めてくれていたっけ。

「…もう一人で、大丈夫だね」

消え入りそうな儚い声。
シェナ姉から紡がれた再会の言葉は、別れの意味をも持ち合わせていた。
それに呼応するかのように、霧がまた濃くなっていく。

「…ま、まだだよ。俺…だって、やっとさ天使に、シェナ姉!」

無言で、シェナ姉は頷く。
ぼろぼろと涙が零れていく

「まって、くれよ…」

手を伸ばしてももう届かない
そんなことは分かっていても、伸ばさずにはいられなかった。

空を掻く指先はひどく寒気を覚えるばかりで、視界は白く深く濁るのみ。

さながら白い闇のようなその場所で
そんな俺はただ、どうしようもなく立ち尽くすしかなかった。

 

 

 

ーーーーー

 

夕暮れの鐘が鳴る。
まだ聞き慣れないその音はたしか、天使の城から響いているとか聞いた覚えがある。
更に言えばこの音はただ時間を知らせる為だけではなく、任に出た天使が迷いなく帰ってこれる様に、という意味合いを兼ねてもいるのだとか。

…なんにせよ、その音が目覚まし代わりになってしまった。

まだはっきりしない意識の中起き上がる

…頭が痛い。
鼻も出てるしそう言えば喉も痛い。
つま先もキンキンに冷えているし、どうやら風邪を引いたようだ。

「…だからあんな夢、視ちゃったのかもな。」

体が弱ってる時は心も弱くなる、それもたしかあいつ…フリズから聞いたことだ。
それが魔物につけ入れられる要因になる時もあるだのなんだの。

ヒトに取り憑く魔物なんて見たことがないとその時は笑っていたが、もしいるとしたら今の自分は格好の標的だろうなと苦笑する。

…気持ちを切り替えよう。
隣で小さく寝息をたてているパグゥの頭を撫でながら考える。
ええと、今日は何の勉強を教えてもらうんだっけ。

「…あれ。ここ、医務室か?」

頭が段々と覚醒していく
ここは天使見習いとして借りた寮…じゃない。

たしか、今日は試験の日…じゃなかったか?

頬杖をつきながら黄昏てみる。
静かな部屋に、呆けたカラスの鳴き声だけが響いていた。

 

 

「…やっちまった」

ああ、次の試験は年を越えてからだ。
渇いた笑みを浮かべながら窓の外を遠く見つめていると、医務室のドアが開いた。
…正確に言えば、ドアノブが取れて開いた。

「ええっ!もう、なんでこれ…あ、セタくん!気がついたの?」

「セ、ト。こんだけ長く一緒にいてまだ間違えるのかよ…フリズ」

ドアノブと小包を片手に走り寄るフリズに話しかける。
ついでに近くの座椅子を豪快に蹴飛ばしながら目の前まで来たところで、彼女は勢いよく頭を下げた。

「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!
私のせいでセトくんの試験が…」

振り子の様に頭を下げる彼女にため息をつく。
文句の一つでも言ってやろうと思っていたが…こんな状態じゃあ、怒れない。

「いいよ、俺の体調管理も悪かった。
また来年頑張ればいいしな。」

少し涙目のまま、彼女は顔を上げる
まだ何か言いたげだが、無理矢理話題を変えた。

「そういやその小包はなんだ?」

「えっ、あこれはセトくんに何か食べ物をって思って…寒そうだったから辛い物で暖まってもらおうと…

ラッタを。」

「いやこれツンとくる辛さのやつじゃねーか!そんなんで暖まるか!」

「あぅ、ごめんなさい!ごめんなさい!」

ため息二つ目。
ばつが悪そうに佇む彼女と自分の間に暫し、沈黙が続く

「…あっあの!レミちゃんが暖かい上着持ってきてくれてるはずだからちょっとみてくるねっ!」

「…え、あ、ちょっ」

「これっ!食べてくださいね!食べなきゃダメだよ!」

言うや否や、呼び止める暇もなく彼女は走り去ってしまった。

…嵐のような奴だった。
無残に転がる椅子とドアノブ、そして無理矢理渡されたラッタを眺めながら苦笑する

「…どうやって食べんだよ」

静かな部屋は何も応えない。
…カラスも何処かへと、飛んでいってしまったようだ。

 

ーーーーー

 

 

物心ついた頃を狙い澄ましたかのように、俺の家は戦火に呑まれ両親共々なくなった。

所謂、戦争の孤児ってやつだ。

別に珍しい事じゃない。
戦争だったんだ。何も死別じゃなくとも、生活苦で捨てられた子だっている。

幼ながらにして天涯孤独…なんて、そんな境遇の子どもはその頃それこそ掃いて捨てるほど居ただろうから。

 

…運が良かったのは。
両親の死を目の前で見なかった事と、燃え尽きた家だった物の前でどうしようもなく立ち尽くす俺を、カシールの村人が見つけてくれた事だろう。

「この子は私が育てます。
あたしはシェナって言うの。
よろしくね、セト。」

小さな俺と、シェナ姉がいる。
そうだった。腫れ物を触るような顔をした村人たちに囲まれていた俺の手を引っ張ってくれたのは、シェナ姉だった。

あの日から、村外れの小さな小屋で二人の…いや、そのあとすぐにパグゥを拾ってきたから二人と一匹の生活が始まったんだっけ。

幸せな時間だった。
決して裕福な暮らしじゃなかったけれど、シェナ姉のご飯は美味しかったし、いつも笑顔でたまに叱ってくれて…俺の沈んだ心を掬い上げてくれた。

パグゥは言葉を話せないけれど、その分感情をストレートに表してくるから…自然と、俺も笑顔になれた。

あの日までは。

「…なんでだよ。なんで、パグゥを捨てなきゃならないんだよ!」

場面が変わる。
今も忘れられない、あの時。

「…セト、よく聞いて。
パグゥはね、パグゥは…一人で生きていける年齢になったから、野生に返さないといけないの」

「なんでだよ!パグゥは家族じゃんか!俺の、弟なんだ!」

「…ドラゴンはね、大きくなったらその分力も強くなるの。もうこれからは今までのようにいかなくな」

「わかんねえよ!なんだよドラゴンだからって家族を捨てるのかよ!

…また、俺から家族を奪うってのかよ。」

そう言った俺はそのまま俯いた。
…ああ、なんて酷い顔してんだ。

黙りこむシェナ姉の顔は…なぜか見えない。

「…お金がないんだろ、だったら俺も働いて」

「…セト、その腕の傷。いつできたの?」

「…っ!これは、ちがっ」

「パグゥは森に返します。
何を言おうと、これはあたしの勝手。

ね、きっとまた会えるから」

「…そうかよ、じゃあ俺もこれからは勝手にするよ。

…もう、いい。」

家族のパグゥが居なくなるんだったら。
自分でろくにメシもとって来られないあいつが、独りで生きて行くと言うのなら。

だったら俺も、
シェナ姉のメシは食わねえ。

 

 

 

ーーーーーーー

 

 

視界は良好だ。
快晴の空に木々から漏れた光、春先の暖かな風に虫たちの決して煩わしくはない合唱、遠く先にある小屋は紛れもなく…我が家だろう。

「なんだか緊張してきちゃったね」

「…なんでお前が緊張するんだよ。」

風邪は一日ですっかりよくなった。
私のラッタのお陰だ、と鼻を高くする彼女に呆れる。
元はといえば、試験直前に風邪を引くほどの冷気を撒き散らした彼女のせいなのだが。

まあ、
そんな事は些細な事と思えるほどに、何もない場所で何度も転びそうになる危なっかしい彼女を気遣いながら小屋の前まで着いた所で、一息をつきながら長袖を捲った。

うっすらと、だが確かに残った傷痕を見る。

「セトくん?」

「…夢をさ、視たんだ。シェナ姉の」

「シェナさんの?」

「ああ…悪いな、ついて来てもらって。
パグゥはあまり外に連れ出せないからさ」

「あ、ううんいいよ全然、たまには息抜きも必要だよね」

あの夢を見てからふと、帰ってみようと思った。
今は誰もいないあの小屋へ。

本当はパグゥを連れていくはずだったのだが、天使見習い登録をした際にパグゥは天使の管理下に置かれてしまった為、自由に城外に出入りすることが出来なくなってしまっていた。

…そこで、本当に自分でも驚くことに、なぜか彼女を誘っていた。

「セトくん?どうしたの?」

…きっと、この能天気な少女と一緒なら何かしら気が紛れると感じたのだろう。きっと。

頭を掻く。
少しだけ躊躇してから、小屋の戸をゆっくりと開けた。
そういえばあの日から一度も帰っていなかったな、と小さく笑いながら。

ひどく懐かしい、家の匂いが風に乗って流れてくる。

 

(おかえりなさい。)

シェナの姿が一瞬浮かんで、消えた。

「…ただ、いま。」

言葉に、詰まる。
少しだけ荷物を持っていった場所以外は、昔と何ら変わっていなかった。
調理器具が並んだ台所、みんなで囲んで食事したテーブル。

そして、そのテーブルの上に置かれたままの手紙を手に取る。

それまで物珍しそうに周りを見回していた彼女が話しかけてきた。

「…それ、シェナさんの手紙だよね
なんて書いてあるの?」

「"一人でも頑張って生きていってね"これだけだ。
…はは、ほんと、短いよな」

夢を見てから、ひとつだけ疑問があった。
二回も立て続けに視たのに、シェナの顔だけ、曖昧で思い出せない。
顔がわからない、と言うまでではないけれど…そういえば、パグゥの件以来ほとんど目を合わせた事がなかった。

「…急に現れて、急に居なくなっちまった。
お陰で謝ることも出来ないままだ。
信じられるか、そりゃ一緒にいた時間は短かったかもしれない。

でも、それでもさあ…」

思い浮かべたシェナの顔は、沈んだ表情のものばかりだ。

「急に居なくなるなんて、ねえよなぁ…」

いつだって優しかった彼女の、怒った顔はどうだったろう
…笑った顔は、どうだったろう。

「セトくん…」

ふと、我に帰る。
フリズにはわからない事ばかりだろうなと苦笑した。
それでも構わず、誰とも無しに呟く自分におずおずと歩み寄る彼女は、また近くの物に当たって雪崩を起こした。

「あっ、ごめんなさっ…」

シェナの仕事道具。
服の生地の山からこぼれた一枚に、"セトの"と書かれた付箋を見つけた。

そっと、その布を拾い上げる。
編みかけのそれは、どうやらマフラーのようだった。

(シェナ姉、なに作ってんの?)

(んー?これはねー、久しぶりに会った幼なじみにあげようって。
明日カシールに行ったらほら、道具持ってけないし仕上げくらいしか出来ないから)

(へぇ)

(あっなにその気のない返事。
だーいじょうぶ、セトのもちゃんと作るからねー)

(いらない…早く寝ろよ、明日朝からあのヒトたち送るんだろ)

(うん、もうちょっとだから、ね。)

「…ほんとに、よくやるよ」

こみあげてきた何かを抑えるように、顔をうずめる。
毛糸の柔らかい生地を丁寧に編み込んだそれはとても、暖かい。

何日も放置された未完成のマフラーは、埃っぽい匂いの中に、僅かに花のような香りを残していた。
…シェナ姉の、匂いだ。

 

 

(セトー、ご飯よー)

(こらセト!暗くなる前に帰りなさいって言ったでしょ!)

(なあに、セト)

(お姉ちゃん、服屋さんになります。
これからは毎日いっしょにいられるよ、セト)

(セト、話がしたいから来なさい)

(じじゃーん、セトの服ができましたー!ほらセト、着て着て!)

(セト、どっちが先に着くか競争だよ)

(パグゥは元気に生きていくから、ね。セト)

(…セト、ごめんね)

(ほら、泣かないの、セト)

(おやすみ、セト。)

 

 

押し込めていた。
知らず知らずの内に遠ざけていた。
目を逸らして、背を向けていた。

「勝手、だよなあ…」

でも、残された者はどうすれば良かったのだろう。

追いかける事も出来ず、逃げる勇気もない。
今も昔も変わらずに、ただ一人どうしようもなく立ち尽くすばかりだ。

ぼろぼろと涙が溢れていく。
今まで黙って見つめていた彼女は、そんな彼を優しく抱きしめた。

 

「…セトくん。
シェナさんはきっとね、またすぐ帰ってくるよ」

一言一句を選ぶように、ゆっくりと話しかける。

「…なんで、そんなのわかるんだよ」

「わかるよ、だって…こんなにセトくんの事を大切にしてるから。」

「そんなの…」

根拠のない、ただの希望的な言葉だ。
それもドジでどこか抜けている彼女から伝わる言葉。

「私ね、天使になるって言って実家を飛び出して来たの。
勝手に飛び出して…でも、今も家族の事を気にしてる。
元気にしてるかな、怒ってないかなって」

「…そりゃ、勝手だな。」

「そうなの。
女は勝手な生き物なんですよ。セトくん」

まるで茶化すように、彼女は笑う。

「だから、わかるよ。
シェナさんは必ず帰ってくる。」

…ああ、そうか。
似ているんだ、彼女は。
不器用なのに世話焼きで、いつも自分より他のヒトの事を気にしている所が。

彼女の顔を見て、苦笑する。
…手先はこっちのが絶望的に悪いけれど、と。

「…そうだな、帰ってくるまでに天使になっとかないとな」

いつか帰ってくる。
そんな曖昧な言葉を信じてみよう。

「そうだよ、明日から次の試験まで猛勉強しなきゃ!」

「お、おい明日からかよ…まだ病み上がりだぜ、俺。」

「ほらほら、そうと決まれば善は急げだよ!
パギュウちゃんも待ってるから、帰ろうよ」

「はいはい…あとパグゥ、ね」

 

残された者は、待つしかないのだろう。
でも、もう追いかけたり、逃げたりしない。
どうしようもなく立ち尽くすだけじゃない。

パグゥがいる、彼女がいる。
だから、自分は自分の道を歩もう。
いつかきっと帰ってくる、その時を待ちながら。

腫れぼった目を緩めて笑う。
…涙は、止まっていた。

 

 

 

 

 

 

帰路の途中で、夕暮れの鐘が鳴った。
この歩む道の先からだ。

空を見上げるとカラスも同じ方向を飛んでいる。
少し短いマフラーを首もとに巻きながらその行く末を確認して、また、前を向いた。

…これならば、
きっと迷いなく帰れそうだ。

 

fin.



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