※オリジナルキャラクター登場
ここは、森の国サクルファス。
深い緑に囲まれた、生命溢れる豊かな王国。
【紅連鎖】燦
「……っ!?」
現れたのは、一瞬のこと。
僕に鉤爪を振り下ろした白い鳥を燃え上がらせ。
尻餅をついた僕に、笑って手を差し出した。
それが、彼女との出会い。
「大丈夫?」
緩く弧を描いた唇。
微笑んだ瞳と、風に揺れた髪。
そのどれもが、燃え上がった火と同じ朱の色をしていた。
「……大丈夫」
掌を掴み立ち上がる。
小さな手は、思いの外力強く僕を引き起こした。
「こんな所に一人で、危ないよ?」
「……ちょっと余所見してただけだ」
「そう。家何処?送るよ」
そうスタスタと歩き出した彼女を慌てて追う。
それが、彼女との最初の会話。
当時の僕は、城の閉塞的な環境に飽き飽きしていて。
隙を見ては部屋を抜け出して、森をぶらぶらと歩くのが日課だった。
あの日も同じように森にいただけ。 ただちょっと油断してただけで、倒せない敵じゃなかった。
……でも、僕が助けられたのは、事実で。
同時に、僕の苦手な炎魔法を軽々と扱う少女に、興味が湧いた。
「君は誰?此処の国民だよね」
「……聞く前に、貴方が先に名乗るものじゃない?」
問えば、少女が振り向いて言う。
驚いた、この髪の色を知らないのか。
……まぁ、無理も無い。
僕は基本的に城に缶詰めだし、一般人には知る機会も無いのだろう 。
「……シルヴァン」
考えて、それだけ名乗った。
さすがに気付いたのか、少女の目が丸くなる。
……しかし。
「シルヴァン。素敵な響きだね」
それだけだった。
彼女は、ただ笑ったのだ。
「あなた、樹族でしょう?杜の匂いがする」
ふふ、と首を傾げ、彼女はまた前を向いて歩く。
何処へ向かうのだろう。
迷いながらも、僕は黙ってその背を追いかけた。
「……そう、僕は樹族。君は魔族だよね」
「そうだよ。でもごめんね、サクルファスの人間じゃないの」
この先の平地にキャンプを張ってるの、そう言って彼女は彼方を指差す。
縫って進む森は深くて、開ける気配はまるでなかった。
「キャンプ?」
「そう。ああでも、街に行くにはこっちか。迷子の国民を拐ったら怒られちゃう」
「迷子じゃない!ちょっと探検をしていただけで、」
「あらそう」
ごめんなさいと肩をすくめて、彼女はくるりときびすを返す。
長い髪が、炎の様にまた揺らめいて。
……ざわりと、背筋が粟立った。
「……ん?どうしたの?」
「……何でも、無い」
言えなかった。
彼女の色に、恐れ慄いたなどと。
誇り高き樹族の出である僕が、焔に怯えるなど。
……彼女は、あぶない。
そんな直感が、ただ灼き付けられたように、残った。
数日後、僕は再び森のなかを歩いていた。
樹々たちに呼び掛けながら、あのときの場所をめざす。
……迷子じゃないと、言ったのは嘘じゃない。
森はある種、ひとつの生命体だ。
樹声を使い、道を聞きながら進める。
だから、あの時もさっさと樹に頼って、彼女から離れれば良かったのに。
彼女は異分子だ。
サクルファスの共同体ではない。
ゆえに、危険だ。
それなのに何故、僕はまた同じ道を辿っているのだろう。
「……あら」
「……やあ」
追跡の途中、何の前触れもなく彼女はまた現れた。
こちらに気付いて、首を傾げる仕草を見せる。
「奇遇……なのかしら」
「この間はどうも。……名前」
「名前?」
「君の名前、聞いてなかった。僕は名乗ったのに」
ムッとしながらそのことを告げると。
しばらく呆けた後、彼女は
「……そうだった、ね」
ゆっくりと、笑った。
それから、僕と彼女は話をした。
僕が話をして、彼女が相槌を打ったり質問をすることが多かったけれど。
この国のこと。
僕の家族のこと。
王族だってバレてしまったかも知れないけれど、別に構わなかった。
初めて、家族でも家臣でも国民でもない人と会話をしている。
そのことが、ただただとても嬉しかった。
名前は無いの、と彼女は言った。
信じがたいけれど、彼女は「長(おさ)の娘」と呼ばれているらしい。
いくつかの家族で集団を作り、居場所を求めて放浪する、漂流の民。
そのとある一団の長の娘、それが、彼女の役割であり、すべて。
「不便だと思ったことはないの?」
「別にないかな」
「寂しいとは?」
「何で?」
何故、そう問われて言葉に詰まった。
必要がなかったのだから、それについて感情を問うのは無意味か。
……それでも。
僕の名前は、遠い神話の大樹に由来する。
ミドルネームは、樹族に伝わる由緒正しき名前だ。
僕はそれを誇りに思っているし、呼ばれれば、嬉しい。
だから、
「君の、呼び名をつけてもいい?」
「えっ、どうして?」
この間、それから今日。
初めて、君の驚いた顔を見た。
やっぱり揺れた紅の髪は、この間ほど怖くなくて。
だから、
「君と、友達になりたいから」
心に浮かんだ、名前をひとつ、彼女に伝えた。
驚いたままだった彼女の表情が、
「……うん。素敵な響き」
ゆっくりと、笑顔になった。
「最近、よく外に出ているようだな」
呼び止められたのは、とある日の午後。
身を固くして振り向いた僕に、父上は険しい顔をしていた。
「ええ。城の中にばかりいては、国民の様子は測り知れませんから」
「森の外れで漂流の民の少女と会うことが、民の様子を知ることなのか?」
「っ、」
やはり、監視されていた。
答えに詰まる僕を、父王は見下ろし、言った。
「……甘いのだよ、お前の兄もだが、お前自身も。国の庇護を持たない弱者を目にかけて、どうする?彼らは国民ではない。親しくしたとしても、いずれお前を裏切り去るだろう」
「……父上は、彼らがお嫌いですか」
「ああ。弱い者は、我の近くには要らぬ。樹族の血は我らの誇り、この国において絶対のものであり、魔族は皆我らに跪く存在だ。それを、部外者が対等であろうなどと言語道断」
「……」
何も言い返せずにいると。
父は、すこし表情を崩して、僕の肩に手を置いた。
「お前の兄は優しすぎる男で、いくら我が言い聞かせても理解せぬ。お前は兄の側で、我の理想を守りつつ兄を支えてやってくれ」
「……」
「我の気持ちを、分かってくれるな。……ナグドラ」
「……は、い」
俯きながら、頷いた。
父の言葉が、繰り返し響いて重く肩にのし掛かっていた。
その日、どうやって部屋に帰ったか、覚えていない。
気が付いたら日はとっぷりと暮れていて、いつも彼女と会っていた時間はとうに過ぎていた。
「……僕の、使命……」
父は昔よく、樹族以外は人に在らず、と言っていた。
兄はそんな父によく、魔族も立派な国民で、愛国心を持っていると噛みついていた。
言い方は極端だけど、父の気持ちはよく分かる。
父、つまり樹族の長が、この国の長。
この緑深い森の国において、魔族より長命で、より強い力を持つ樹族が国を治めるのは、当然のこと。
絶対数では、樹族は魔族にはるか劣る。
だから、その事実に反感を持つ人たちもいる。
けれど、生命の連鎖において、数の少ない者が数の多い者を糧とし君臨するのは自然の摂理。
国として国民を囲い、彼らを利用しながら、彼らを守る。それは当然のこと。
父は二度、城に仕えた魔族により、暗殺を企てられていたことがある。
どちらも未遂に終わってはいるが、……「裏切られた」という父の憎悪の感情ももっともかも知れない。
だから余計に、父は魔族を見下している。
……一体、何が正しいのだろう。
翌日。
朝早く部屋の扉を叩いたのは、珍しいことに兄だった。
「おはよう、ナグドラ」
「兄上、おはよう。どうしたんですか?」
「実はナーシ先生に、話があるからナグドラの部屋で待っていなさいと言われて」
「先生が?」
父の側近である先生は、僕たちの学問や戦闘術の教師だ。
その兄も、何の話なのかわからず、困惑している様子だった。
「ただね、その後、先生が数人と共に、城の西の森へと分け入って行くのを見たと言うもののがいるんだ」
「西、」
「何だか嫌な予感がしてね、ナグドラは何か……ナグドラ!?」
最後まで聞かずに部屋を飛び出した。
ドア外にいた護衛が追ってきたので、窓外の大樹にウィップを飛ばし、それを掴んで城から逃げ出す。
嫌な予感なら、今イヤと言うほど感じていた。
先生は父の側近だ。
そして昨日の父との会話。
先生の目的は、森外れの平地。
そこに仮住まいを設けた、漂流の民。
……僕に、余計な気を起こさせない為に。
自分に何ができるかなんて、分からなかった。
ただ、先生と、彼女もいるだろう場所を目指して、走った。
初めて訪れた森の国の西端は、ほんとうに何もない平地だった。
……何もなかった。誰もいなかった。
ただ、僕と先生を除いて。
「ナグドラ様。勝手に城を出られては困ります」
「先生、」
僕を見つけて近付いてきた、翡翠の髪の男を見上げる。
じっと見つめる僕の視線をしばらく受けた後、先生は首を振った。
「私が着いたときには、既にこの状態でした。念のため周辺を捜索させましたが、何の気配もありません」
「……」
「恐らく、この国を出たのでしょう。もう戻ってくることはありません」
「……そんな、」
「ナグドラ様、奴らは所詮放浪の民。貴方が気に掛けるべきではない下賤の者なのですよ?」
「……うるさい」
「貴方は王弟、尊い御方。魔族など所詮利用するだけの存在なのですから、」
「うるさい!!」
顔をそらして、怒鳴った。
「今すぐ此処を去れ僕を置いてすぐにだ城に帰れ!!早く帰れ!!」
「……失礼します」
吐き捨てた命令に、先生の溜め息ひとつ。
静かな足音と気配が、遠ざかった。
どのくらい、そこでそうしていただろう。
僕はのろのろと顔を上げた。
空虚な平地を眺め、ゆっくりと背を向けて、
「……シルヴァン」
彼女が、いた。
木の影から不意に現れ、こちらを見つめていた。
「……ああ、」
また、会えた。
そう呟いた僕に、彼女は首を振った。
「サヨナラを言いに来たの」
「……嘘だ!!」
「嘘じゃないの。本当にお別れ」
この国は余所者が嫌いだから。
いつもと変わらない調子で、彼女は淡々と言う。
「樹族の人が一人、新しく仲間になったの。その人が不思議な力で教えてくれた、早く逃げろって」
「……樹族が?それは駄目だ、父上の臣下かも知れないのに勝手に国外へなんて。それに、それならどうして君は残ったの」
「言ったでしょう、貴方にサヨナラを言うため。元気でね、シルヴァン。お父様とお兄様を大事にしてね」
それだけ、それだけ告げて、彼女は僕に背を向けた。
父の言葉が蘇る、“親しくしたであろうとも、いずれ――”
……ああ、彼女も。
「僕を裏切るの」
「……」
「友達だと、言ったのに。僕を置いて君は行くの」
僕の言葉に。
再度振り向いて。
彼女は。
「友達という名前を枷にして誰かを縛ろうとするのなら……それは友達ではないんだよ、シルヴァン」
「……出ていけ」
俯き、視界から追い出した。
「この国から出ていけ、二度と戻ってくるな」
歯を、食い縛る。
「僕の前から、……消えろっ……!!」
「……さよなら、シルヴァン。私の森の友人」
焔の色をした少女は、消えた。
最後の最後、彼女が初めて触れていった頭が、何故かいつまでも暖かくて。
堪えきれず落ちた涙は。
足下の花に落ちて、消えた。