WEAKEND
- 創作コンテスト2013 -

暗い、暗い世界の片隅に
小さな光が灯った。

ひらひらと蝶の様に力なく漂うそれは、やがて横たわる男の背中に触れて消えた。
その男はむくりと起き上がり、暫しの間を置いてからふらふらと歩き出した。

帰らなくては。

何処へ?

ええと、そうだ。

淡い夢物語の、始まりの地へ。


****






ーーーー戦果報告書。
魔王八騎士
オルデガ=バーン
アスア=エスデス
サタン軍歩兵4860名、法兵1420名、工兵810名、全7092名をニハ王国へ侵攻。
ニハ王国に大打撃を与えるも敵国の兵器ラグナロク発動にてオルデガ、アスア含む兵7038名殉死。

サタン軍の損失甚大、至急応援の兵を求む。ーーーー







その知らせが届いたのは、悲報には似つかわしくない良く晴れた日だった。

急を要していた為だろうか簡潔に、だが几帳面に書き連ねてある文書の暗号を紐解くと、目を疑う内容が記されていた。

「アスアに、オルデガ殿まで…状況は更に悪くなったか。」

額に手を当てながら、男は思案する。
現在サタン城に居る兵士には余裕がある、補給線の長い戦場だ…救援物資と共に直ぐにでも向かわせればいい。

問題は騎士の損失。
二人とも百戦錬磨の強者だった、この二人に代わる人材はそういない。
"魔王の剣"と呼ばれるこの男、ムートは眉をひそめた。

「…スピに指揮をとらせるには早すぎたか。」

軍師にも代えがいるな、そう考えていると報告書の一番下に小さく書いてある文字を見つけた。

ーーー可能であれば、応援とは別に兵の用意を。
牙城の崩れたニハを必ず落とします。
彼らの命を、無駄にしたくはありません。ーーー

男はそれを一瞥し、口角を上げながら報告書を処分した後、まだこの城にいる騎士の元へと歩いていった。







「…そっか、アスアとオルデガ…死んじゃったんだ。」

俯き加減に、少女は呟いた。

「ああ、代わりにユイ。お前に凍てつく大地へ行ってもらう。
戦士のフォレスも騎士に上げておく。共にあの地に向かい、スピの指示を仰いでくれ。」

「もう一度戦ってくれるって、言ってたのになあ。」

自室の窓を開けて少女は呟いた。
ここら辺では珍しい、赤い鳥が城の中を優雅に飛んでいる。

「エクトリック、アスア、オルデガ…ねえムート君。もし、ユイも死んじゃったら…どう思う?」

「それは困るな。」

「ほんと!?」

「お前の力はサタン軍に必要な力だ。お前はまだ若い、これからもっと洗練されていくだろう。
失うには惜しい。」

無表情に答える男に少女は項垂れる。
そういうことじゃ、ないのだけれど。

「もう!ムート君全然わかってない!」

近くにあった青いぬいぐるみにパンチする。
グエ、と聞こえた気がしたが気のせいだろう。
男はため息をつきながら一言、付け加えた。

「俺個人としても、だ。」

「うんうん、それでいいの。
じゃあ、少しの間お別れだね。」

そう言って少女は手を差し出した。
男はそれを無視して、扉の方へと歩き出す。
次はフォレスに連絡する必要がある。

「もう!冷たいよ!最後になるかもしれないのに!」

背中にかけられた怒声に苦笑する。
あの調子なら、当分死にそうにない。

「別れは言わない主義だ。
必ずあの地を制圧して、戻って来い。」

歩みを止めずそう言い残して、部屋を出ると先程の赤い鳥が留まっていた。

鳥は小さく御辞儀をすると、別の場所へと飛んでいってしまった。

「…まさかな。」

頭をよぎった考えを振り払う。
…どの道、長くはないだろう。

男は、踵を返して歩き出した。





丁寧に装飾の施された大きな玉座に座り、銀髪の魔王は全軍の侵攻状況が記された報告書に目を通していた。

全軍の指揮、状況管理をムートに任せているのだ、概ね問題はない。
だが一つ…問題があるとすれば。

紙を近くのテーブルに置く、来客だ。
開けていた窓から燃えるように赤い鳥が舞い降りてきた。

「…大きな、犠牲を払ったな。」


今は遠く霞んだ過去に、男は一つの夢をみた。
"魔界を統べる王となる。"
そう謳い、それに集った多くの仲間。
初めは兵すら居なかった。
多くは振り向く事もなく、罵声と嘲笑がかけられた。

それでも魔界有数と言われる大軍になるまで突き進めたのは、己が覇道を貫く覚悟と、これを夢とし共に戦う事を望んだ同士が居たからだ。

「ここにお前が居ると言うことは…オルデガも、か。」

魔王は頬杖をつく。
オルデガは初期からこの軍にいた存在だ。
劣勢、愚策の多い弱小だったサタン軍において、兵たちの士気を上げつつ切り抜ける…無くてはならない存在だった。

(俺があんたを魔界の王にしてやるよお、サタン様。)

「…フン、全く。豪気な男だったな。」

微笑する魔王のその姿を見つめていた赤い鳥は、小さくお辞儀をした後、羽根を二・三度羽ばたかせ窓の手前まで飛んでいった。

魔王はその鳥の後ろ姿に、声をかける。

「アスア…礼を言おう。
お前無しでは、我が軍もここまで大きくなれはしなかった。」

元より、敵軍の将だったアスア。
同士となってから、数多くの戦場をその知略で制した。
サタン軍を強くしたのがオルデガならば、サタン軍を大きくしたのは彼女だ。

「最後に、一曲踊ってくれないか。」

大げさに畏まって、手を差し出す。
彼女の趣味だったダンスを、これまでの礼の念も込めて踊るのも悪くない。

赤い鳥は翼を広げ、口を開く。

「…サタン様、私は…。」

言いかけて、首を振る。

「…いえ、貴方の覇道を最後まで見届けられず残念です。
どうか、魔界の王となるその時まで。御武運を。」

言い終わると共に、彼女は窓から飛び去っていった。
彼女の残した赤い羽根が一枚、舞い落ちる。

「…ご苦労だった。」




小さく、魔王は呟いた。
伸ばした掌に落ちた羽根は、チリチリと名残惜しむ様に火が付き、程なく燃えつきた。







****







おぼろげな足取りで辿り着いた場所は、苔むした外壁が守る小さな城。

「…なんだぁ、まだ残ってやがったか」

彼は錆び付いた城門の前に立っていた、門は開かない。
この門はどれだけその身が朽ち果てようと、ここに訪れる者を許可なく踏み入れさせない最後の番兵なのだろう。
彼は暫しの間、その場に留まる。

「ここから、全てがはじまったんだよなぁ。サタンよう。」

思い返すと感慨深い。
この近くの村は酒が旨く、男は豪傑揃いで、女は皆綺麗だった。
今は無いその村で一番の力自慢だった彼は、世界を知らないまま、己の力こそ随一だと信じてやまなかった。

「俺はぁ、ここであんたに夢をみたんだよ。」

城門に背中を預け彼は空を仰いだ。
雨雲の多い、暗い空だ。
目を瞑ると僅かな花の香りが風に乗り鼻腔をくすぐる。
村のいたる所で咲いていた花の香りだ。
あの頃は道の辺に咲く花などには見向きもしなかったものだが、なぜか、ひどく懐かしく思う。

その花は、今は番兵の片隅に咲いていた。

「…守ってくれて、ありがとうよ。お疲れさん。」

言葉を持たぬ番兵たちに向けて、彼は小さく礼を述べた。


今は遠く霞んだ過去に、彼は此処で一人の男に夢をみた。
惨憺たる魔界の中で吐く寝言の様なその夢は、それ故に、己の全てをかけるに値するものであったと心から思う。

「…もう、いいの?」

「別れは地の底で済ませてる。思い残すこたあ、ねえよ。」

言葉とは裏腹に、空からは冷たい雫が零れ始めた。

「下手な嘘ね。本当に、昔から変わらない。」

「嘘はつけねえ性分なんだよぉ、俺はぁ。」

目の前に現れた小さな灯りに笑う
ああ、あれは蝶ではなく鳥であったのか、と。

「フェニックスレイヴ…つったか。おめえこそ、良かったのか。最後の力を自分に使えばよ、自分だけでもなんとかなったんじゃねえのかい。」

魔力で生み出した炎を操り鳥の姿に形成、更に術者の闇気そのものを注ぎ込み、意思をもった消えることの無い不死鳥を作り出す。
地下幾千の戦いの中で共に戦った彼女、アスアが得意としていた魔法だ。


「そうかもしれないわね…本当、あの戦について行かなければよかったわ。」

ゆらゆらと揺れる火の鳥は雨粒に打たれても尚、絶えること無く燃え続けていた。
風景はその背にぼやけて、堪らず、目を細める。

「仕方のないことよ。あの時、咄嗟に貴方の身を案じてしまったのだから。
…この魔法もラグナロクに吸われてしまえばよかったのに。」

「おいぃ、どうにも納得がいかねえなあそりゃ。」

通常ならば。
あの火の鳥は術者が闇気の供給を止めない限り消えることはない。

だが今、その術者は。
目を瞑り、歯を食いしばる。
…眼前に燃え盛る炎はまさに、命を燃やしているのだ。

蒸発する水滴を、虹色に輝かせながら。

「結果として、ラグナロクの脅威は無くなった。体制を立て直したサタン軍ならば直ぐにニハを制圧して、あの地で優位に立つことができるはずよ。
後は新しい軍師さまに任せればいいわ。」

彼の脳裏に、サングラスをかけたしかめっ面の男の顔が浮かぶ。

「俺はぁ、まだ信用ならねえな。あいつの腹が知れねえ。」

「大丈夫よ。彼のやり方は間違ってない、少し…見方が違うだけ。先輩として最後の助言も遺しておいたから。」

火の鳥は大きく翼を広げた。
舞い散る羽根は燃え尽きながら地に落ち、辺りを幻想的に彩る。

「…まだ、言いてえ事があるんじゃねえのか。」

向かい合う二人の間に雨音が響く。


「最後になるんだ。サタンのやつにだって何かよお…そういうの、ねえのかい。」

途中まで言って、尻窄みになる。
眼前の火の鳥は真っ直ぐにこちらの瞳を見つめていた。

「…不思議ね。言いたいことはたくさんあった筈なのに、それが叶うときほど何もかも忘れてしまう。」

…そうかい、と笑う。
表情のない火の鳥の向こうで、全てを終えたと笑う彼女が視えた気がした。

全く、嘘をつけないのはお互い様だ。

「…さあ行きましょう、これでお話はおしまいよ。
最後に貴方が隣だというのは少し不満があるけれど…、我慢してあげるわ。」

「口の減らねえ女だなあ、まったくよ。」

いつもと変わらないそのやりとりに苦笑いをしながら、彼は歩き出した。










今は遠く霞んだ過去に、彼らは一人の男に夢をみた。
その夢の行く末を辿るかの様に、彼らは何処かへと歩き出す。

吹く風は向かい風。
しとしとと降り続く雨は足跡を流し、その軌跡さえ残さない。
彼らの意識を現世に繋ぎ止める魔力も、灯した蝋燭の火がやがて消えてしまう様に、尽き果てるのにそう時間はかからないだろう。

「さむいなあ…おい、アスア。火ぃ出せ、火!」

「フフッ…イヤよ。」

だが彼らはそんな非情な世界に、笑みを浮かべながら歩くのだ。

二人を見送る者はいない。
遠ざかる足音は誰の耳にも触れず、やがて聞こえなくなった。

だが、その足跡に振り返った痕跡は一つもない。

それはきっと、
振り返れば立ち止まってしまうと、彼らは知っていたからだろう。

長い戦いと旅路の果てにあるものを一心に追い求めた、そんな彼らの夢物語はここで、幕を閉じる。












いつしか雨は止み、雨雲の隙間から光が射し込む頃、一迅の風が吹いた。

二人を追う様に吹く風が東雲の空高く舞い上がっていくその時に、

番兵の側の名も無き花は雫を溢しながら

静かに、静かに頭を垂れた。


fin .


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