「サキ、少し話があります」
夕食を食べ終えた頃、母上が言った。
昇級試験から1週間が経つことから、私は話の内容をおおよそ察した。
しかし自分から言い出すことはしない。
一息ついてから、ミカさんは言った。
「昇級試験、合格です。
おめでとう」
私は驚愕することしか出来なかった。
ウーリさんから直接ダメ出しされた以上、私は不合格だと思っていたのだ。
ミカさんは続けて言った。
「昇級式は明日の正午に行いますが、午前はジオディ様から話があるそうなので、明日は出勤したらすぐ神の間に行くように」
「わかりました」
私は意味も考えずただ返答していた。
それだけ動揺していたということだ。
「中級天使昇進のお祝いに、今日はデザートを作りました」
そう言ってミカさんは冷蔵庫から皿を出す。
その皿からは、ほのかにカラメルの香り。
そこには、私の大好物、プリンが乗っていた。
しかもそれは普通のプリンの10倍ほどもある。
私は一目見て、それがエルガン家に代々受け継がれてきた例のプリンだと分かった。
ジンがいた頃は、時々3人で分けて食べたものだ。
「懐かしのプリンですね」
「はい。
久々に作ったので、味は昔より劣るかもしれませんが。
プリンが好きで、プリンの味に厳しいのサキのことだから、期待に添えるか分かりませんよ」
まだ私やジンが見習い天使にもなる前の頃は、『今日はプリンがあるよ!早く食べたいな!』と言って、無邪気にはしゃいでいた覚えがある。
「では、いただきます」
そう言って私はプリンにスプーンを入れる。
そして一口サイズに切り取った。
その時私は、あの大ゴブリンの事を思い出して、思わず笑ってしまった。
「どうかしましたか?」
「いや、昇級試験の時の大ゴブリンを思い出してしまって」
「……ふふっ」
母上は含み笑いをした。
そして、昔を懐かしむようなうっとりとした目をする。
「私も中級天使になる昇級試験の時、同じ事を考えましたよ。
だから合格したときはこれを作りました。
……一緒に食べてくれる人がいなかったので、作った後に困りましたけどね」
そう言って母上もプリンを一掬い。
エルガン家伝統のプリンはまた分裂した。
「では、いただきましょう」
二人で同時に口に含んだ。
プルプルの食感と滑らかさ、そしてカラメルソースの程よい甘さが絶妙にマッチしている。
間違いなくエルガン家のプリンだ。
「……やっぱり母上のプリンは美味しいです!」
「サキにそう言ってもらえると、腕を振るった甲斐がありましたね」
「母上こそ、私の好物を作って下さってありがとうございます」
「母として当然のことですよ」
そう言って、母上は一層頬を緩める。
母上もこの伝統のプリンが好きなようだ。
私達はその後も、プリンを食べながら昔の話に花を咲かせた。
結局、食べ終わるまでに半時間を要した。
――――――――
朝、私はミカさんに言われた通り、神の間に向かった。
そして神の間の目の前に到着。
そういえば昨日は、動揺していて何の話か聞くのを忘れていた。
だから私は今から何を言われるか不安になる。
「ふぅ」
深く深呼吸した。
そして、扉をゆっくりと押し開ける。
扉の隙間からまばゆい光が差し込んでくる。
その光に目をくらまされながらも、私は扉を完全に押し開け、そして神の間に踏み入れた。
「サキ=ミエルです」
「待っていました。
そこに座ってください」
ジオディ様は椅子を指差して言った。
辺りには側近天使はいない。
その事から余程重要か、あるいは内密な話であると察することができる。
私は再び不安になり、その場に立ちすくんだ。
その不安を察されたのか、ジオディ様はこう言う。
「不安に思わなくていいですよ。
サキにとっていい話です」
そう言われて安心し、私は椅子に腰かける。
そしてジオディ様に尋ねた。
「……話とは何でしょうか?」
「サキ、あなたを側近天使に任命します」
「………………」
私は絶句した。
おそらく口をポカンと開けているに違いない。
側近天使といえば、母上の職務。
他にもヨーイフさんなど、側近天使は経験豊富な上級天使が務めるのが普通だ。
そんな重大な職務を、中級天使になったばかり――実際は昇級式が終わっていないのでまだ今は下級天使なのだが――の私が務められるのだろうか。
「そこまで驚くとは思いませんでした」
「……側近天使は上級天使がするものではないのですか?」
私は最も疑問に思った事を口にした。
「その様な決まりはどこにもありませんよ。
私も今までは経験豊富な上級天使に側近天使を務めさせてきましたが、世代交代の意味も込めてあなたにも側近天使を務めてもらうことにしました」
「……なぜ私なのですか。
ユノさんなど、他にも若手で優秀な天使はいます」
するとジオディ様は、一息ついてからこう言った。
「サキ、あなたは臨機応変に状況に対応する能力が随分高いとウーリに聞きました」
「しかし、私は……」
私はウーリさんに言われた言葉を思い出す。
『周囲の状況を把握する能力に欠けている』
同一人物が相反する二つの言葉を発したことになる。
その時、後ろから声が掛かった。
「あの後は素晴らしい程臨機応変に対応していたではないか」
ウーリさんだった。
「イノッシーの大群が現れた後は、さすがに援護してやろうかと思ったが、お前の的確な判断で、二人だけで危機を乗りきることができたのだからな。
人間誰でも失敗はする。
2度も失敗をすれば実力不足だと認めるが、1度の失敗くらい、その後の努力でいくらでもひっくり返るものだ」
普段寡黙なウーリさんの驚く程沢山の言葉は、私の心に染み渡る。
そして、私はジオディ様の提案を引き受ける決意をした。
「そういうことですからサキ、側近天使を務めてくれますね?」
「はい、是非務めさせていだきます」
私は左手を胸に当て、そう言った。
「ではサキ、次は昇級式です。
備品受付で中級天使の緑襟の服を選んできてください。
そして正午に、また会いましょう」
――――――――
制服を選んだ後、正午に再び神の間に入った。
そして、昇級式が始まった。
「ここにいる皆さん。
昇級おめでとうございます。
下級天使から中級天使へ昇級して、任務のリーダを任されることが増えるなど、天使としての責任が重くなります。
緑襟を着る者としての威厳を持ち、今まで以上に天界の平和に貢献していってもらいたいと思います」
ジオディ様の話が終わり解散となったが、すぐ彼女が駆けつけてきた。
「サキも合格したのね」
「はい。ハーニさんも合格したのですね」
「うん。
で、昨日プリン食べたら太っちゃったんだよね。
ほら」
そう言って彼女は二の腕を振ってみせる。
しかし私は引っ掛かる言葉があったので、よく見ていなかった。
「プリン?」
私は思わず聞き返していた。
もちろん自分も昨日食べたから、という理由もある。
しかしそれ以上に、彼女の家系を考えると……
「うん。
エルガン家伝統のプリンのレシピが、ミルトン家にも伝来してるんだよ」
やはりそうだった。
「あれは本当に美味しいですよね。
私の家でも昨日、母上が作ってくださいました」
「サキもやっぱり好きなんだ!
ミカさんの味は、本家の味だからね」
「そうですね」
そう言って明るく談笑する私達二人。
そんな二人を繋いだのは……
――――――――
「母上」
夕食後、今日は私から声を掛けていた。
「何ですか。
今から用事があるので、早くしてもらいたいのですが」
用事がある時にこんな事を聞くのも気が引けるが、私は聞くことにした。
「例のプリン、エリーさんも好きだったんですか」
エリーさんは、母上の兄ナルハさんの恋人だった人らしい。
母上は遠い昔を見つめるように目を細め、そして言った。
「私が、兄さんの恋人だった彼女に作り方を教えました。
兄さんが中級天使に昇級した時に」
あのプリンはエルガン家伝統のプリン。
だからエルガン家に嫁ぐ者にも、エルガン家から嫁いでいった者にも受け継がれていく。
そして、姓はミエルではあるものの、その血筋の娘である私。
「……母上、私にも作り方を教えてください」
「ちょうど今から作るところよ。
サキが側近天使になったお祝いに」
エルガン家のプリンが、また一口掬われた。