※流血、グロテスク、暴力表現及び過去捏造が大いに含まれます。
※「ラオンさんは間違っても部下に手出しはしない」とお考えの方は特にご注意下さい。
沈黙は止まない。
あまりの静けさに、ハーニにはこの場所がまるで世界に二人だけの空間のような感覚に陥っていた。
やがてラオンは重い口を開き、問う。
「…その言葉、信じて良いのかい? 今までの……村の皆とか、サクルファスの樹族みたいに俺を拒絶したりしない?」
「……… するわけないじゃないですか。そんな事する位なら今頃とっくに私から小隊抜けてますよ。それで……昨日も普段のように任務に同行しなかったのにどうして夜中になって人一人、あんな風にボコってたんですか?始めからそのつもりだったから私に『森の頂上には来るな』と言ったんでしょうか?」
「ああ…あれか。 あまり聞かせたくなかったんけど…特別に教えてあげるよ。 漠然と聞いただけの話だけど、最近になってあそこ――昨日君達の任務先となったセントラルロディジャ郊外の森にボロボロの服を着た怪しい男が夜な夜な入って、それから頂上の方で何か奇怪な音がすると報告を受けてたんだ。それで昨日、君達が来る前に手続きも済ませて夜調査しに行こうと考えていた所で」
「その前に私達を誤って立ち入らせたくなかった、という所ですね」
「当たり。昼間と言えどもし間違って入られて大事になったら大変だからね。 …で、日が沈みかける頃に出発して、調度君達の任務が終わって近くの宿を取った所で森に着いた。その後一時間近く見張ってたら本当に噂の男は出て来たんだ。だから頂上まで着いて行って…着いてから彼に問い詰めたんだ。ここで何してるのかって。相手は始めこそ怯えて何も言わなかったものの次第に声を荒げて反発して来て、最後には開き直ってこう言った。『魔物を繁殖させ、数週間で成長させる実験だ。成功した魔物は森に野放しにした』って」
「―――!! それって、まさか……昨日のコカトリス?」
「そう。 コカトリスは通常、八年もの年月を経て一人前になるだろう?彼はそれをたった数週間でその雛を成鳥に仕立てたと言うんだ。 俺は直ぐにそんな事は止めるように説得した。でも彼は聞く耳を持たず、それどころか実験で成長したコカトリスを使って俺を攻撃し始めた。全部倒した後でもう一度説得したら今度は一番聞きたくない事を言われて………遂に『赤き悪魔』は発動してしまったんだ」
「そんな…」
知らなかった。
昨日の自分達の任務の裏に、そんな事情があったとは。
だが、これまでも普段出ない場所に魔物が出没する件は今や珍しくはない。
カシール村のドラゴン騒ぎ以来。
そして――彼がここまでその裏側に深入りしていたとも知らずに自分は何をしているのか。
先程の罪悪感が再び頭を過ぎり、どうすれば良いか、何と言えば良いか解らなくなった。
沈黙の後、二つの足音が聞こえた。
こちらに向かって駆け出している。
「ハーニいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!」
「ハーニさん!!」
「!!?」
振り返ると、親友であるメルティと昨日任務で行動を共にした下級天使の少年の姿があった。
何とも間が悪い。
不覚にもそんな心境に陥ってしまった。
「ちょっ……どうしたの二人とも!?」
「どうって…心配して駆け付けて来たに決まってるじゃんかぁ!」
「ハーニさんを探してたんですよ。医務室に居るって聞いたのに居なかったから…それに、隊長の事――」
「………」
再び俯くラオン。
少年もまた、彼があの場にハーニと居た事を聞いているらしい。
それを聞いていないメルティは疑問符を浮かべている。
少し間を置いた所で少年が問い掛けた。
「ところで隊長…一体何故ハーニさんとあの場に居たんですか? ハーニさん、昨夜僕に夜明けまでには帰って来るとおっしゃっていましたが朝になっても帰って来なくて、他の先輩から事務の方に連絡が来たもので……お二人とも、意識が無かったと聞きました。何か…ありましたか?」
その問い掛けに、再びラオンの中で傷がえぐられる様な感覚に苛まれる。
ハーニもまた、ばつが悪そうな表情に変わっていった。
「え、えぇ!? どういう事!!?お姉さんそんな話聞いてないぞぉ?」
「………」
傍らではメルティが驚愕に目を見開き、ハーニとラオンと少年を交互に見遣る。
(やっぱり、言ってしまった方が楽かな。ここでまた昨夜と同じ事になる前に)
そう考えたラオンは数本少年に歩み寄り、重い口を開く。
「……それはね、俺がハーニに手「を出そうとした酔っ払いオヤジを追い払ってくれたんですよね」……え」
咄嗟に思い付いた作り話。
半ば驚愕の眼差しを向ける彼にハーニはメルティ達に見えない様に微笑みかけた。
その二人はと言うと、ラオンと同様に更に驚愕と半信半疑が入り混じった表情でこちらを見据えている。
「……!!?」
「えぇぇぇぇぇ!!? マ、マジ……!?」
「マジ」
「手を出そうとした、て……まさか………」
「オヤジに襲われかけた」
「「!!!!」」
「ってゆうか、向こうが一方的に話しかけて来るもんだからシカトしてたんだけど、そしたらキレて『つけ上がんじゃねーぞ!!』って、いきなり突き飛ばして来て、何でか知らんけど私達と来てない筈の隊長と鉢合わせしちゃって。それで助けを求めたら隊長が奴の顔に棒を向けて脅し文句つけてたけど、効果無いのさ全然。しょうがないからとりあえず二人で逃げたんだけど宿と反対方向だったって、路地裏来てから気付いたんだよねー。で、どうやら私達、そのまま寝ちゃったみたいで……はは」
「……医務室にそのまま送られた、って訳ですか」
「多分ね。私も隊長もラファさんから聞いてビックリだわもうー。そんで今、二人してアホだなーって話してた訳。ね、隊長?」
「………」
一通り、ハーニの作り話を聞いて半ば呆れた表情に変わるメルティと少年。
ラオンもまた唖然としていたが直ぐにいつもの表情に直り、彼女の話に合わせるように答える。
「その通り。全く…女の子に手を上げるなんて、同じ男として許せないな」
ラオンにとってそれは昨夜の自分に言い聞かせるような口ぶりである。
「それから俺があそこに居たのはただの散歩であって、特に深い理由は無いよ。あの暗い時間帯にハーニに会ったのには驚いたけど」
「そんなんだったら私達の任務に同行して欲しかったですよ。ま、今に始まった事じゃ無いけど」
「あはは。 ハーニもハーニでそんな格好のまま夜道を歩くからだぞぉ?多分」
「ちょ、、何それ」
「それもそうだね。上着も着ないでそのまま歩いてたんだもん、それだと悪い虫がつきそうで隊長としても心配だ、俺も」
「はは…確かに。僕も正直目のやり場に困っています」
「な―― 隊長…そんなにこの服、露出度高いですか」
「ちょっとね。似合ってるけど。 …じゃあ、俺はここで退散するよ。くれぐれも報告書を忘れずに」
「…は〜い(あ、隊長…さっきの…天使も、閃輝隊も辞めないでいてくれますか……?)」
(勿論さ。君達の成長をもっと見届けたいから)
(よかった……)
メルティと少年に聞こえないように小声で話すとラオンは踵を帰し、裏庭を後にする。
ハーニ達もまた、彼とは反対方向に向かって歩いて行った――
「今頃露出高いとかそんなん言われてもね…こっちだって困るっつの。ずっとこれで来た訳だし結構気に入ってるし、今更デザイン変えるのも何だし」
「でも、きっと閃輝隊の男性陣は皆同じ事思ってるぞぉ?」
「そうかなぁ?」
「…いえ、さっきのは飽くまで僕の考えです。隊長まであんな事言っていたもので、つい……。 何かすみませんでした」
「い、いや別に…そんな気にしてないから」
「あはは、かわええっ」
お茶らけた会話をしながら歩く中、彼女は改めて思った。
誰しも、他人に見せたくない一面を持っている。
自分がそうであるように。
昨夜の自分達と同様、ある時その一面を見てしまったら、或いは見られてしまったら――言い表せない程の衝撃に見舞われる事もあるだろう。
ただそれだけの事。
そんな事で人一人を拒絶する程、自分は器の小さい人間ではない。
だからこれからも彼に、彼率いる「閃輝隊」に着いていく。
自分の道標を示してくれた、たった一人の大先輩だから――
「良かったじゃない、拒絶されなくて」
ラオンの視線の先には、先程同様の資料を抱えて微笑むミカの姿があった。
「聞いてた…のか」
「ええ。 悪いと思ったんだけど、どうしても心配だったから。…それで、天使を辞めたりしないわよね?」
「……… ああ。 あんな可愛い後輩に真剣な目であそこまで言わせちゃったら流石の俺でも敵わないよ」
「そう、良かった。 昨夜の話を聞いた時、あの事を思い出して――もう冷や冷やした。だけど、当事者のハーニさんが貴方に直球でぶつかってくれたお陰で本当に助かったわ」
「………」
天魔大戦中の、かつて彼が「赤き悪魔」によって暴走した一件。
目の前にいる、今は亡き親友であり彼女の夫を幾度となく痛めつけた、あの件。
それでも命懸けで自分を説得して救ってくれて、あの後からも今まで邪険にしないでいてくれた面々。
…思い出すと、再び涙が出そうになる。
ラオンはそれを掻き消すかのように話題を逸らした。
「それで、俺はやっぱり処罰されるのかい?この際一ヶ月以上の謹慎処分でも良いけど」
「まさか…そんなに取らせる訳無いでしょ。 彼女にも今回の件は無かった事にって言われたし、何せラオンに対してのあの台詞を聞いた後じゃあ……… よって、現時点では保留という形を取らせて頂きます」
「はは。それはまた中途半端な」
「昨夜の件は私とラファさんとジオディ様しか聞いていないから。あちらの方々にも報告して、それから正式に決まる事になるわ。 さあ、私も皆を待たせてるし、仕事も山積みだからそろそろ戻らないと」
「ああ。俺も一足部屋に戻っとくから、お前も無理するなよ」
一通り会話を終えるとミカは本当に城内へと歩みを進め、ラオンもまた自室へと足早に向かって行く。
「………ふぅ」
自室には十数分とかからない内に到着し、小さく溜息をつく。
あれからまだ半日も経っていないのに、疲労で身体が怠い。
昨夜「赤き悪魔」を数年ぶりに発動したせいか、はたまた恐怖で逃げ惑う彼女を追うのにあれ程の距離を早歩きしたせいか。
…だが、心身共に心地良い疲れであった。
「………っ」
彼の瞳から、一粒の雫(なみだ)が零れ落ちる。
そしてそれは次第に大粒のものへと変わって行く。
何故か。
答えは直ぐに浮かんだ。
自分は昨夜、一番してはならない事――そう。心中にある悪魔に囚われ、守るべき部下を一人痛めつけてしまった。
にも関わらず、その部下は自分の過去も悪魔の事も知って尚、自分を引き止め、着いて行こうとしてくれている――
それに対する嬉し涙なのだろう。
同時に、タブーを犯してしまった懺悔の涙でもあって。
これ程泣いたのは何年ぶりだろうか。
これまでに溜め込んでいた物がどっと溢れ出したかのように。
顔を上げると、決意を固めたかのように立ち上がる。
そして――
数日後
「確か今日はLEENAのベストアルバム『Bonds』発売日だったよね」
「ですよね!! 私既に一ヶ月前に予約済みなんですよー」
「…早いね。ちなみに今回の初回限定盤の特典はメンバーの未公開写真が沢山詰まっている画集で主に楽屋での様子を中心に収録されてるって。リディが寝てる間にアンが顔に落書きしてる所とか、エドの変顔ドアップとかもあるらしいよ」
「マジですか!!?!? …エドの変顔とか物凄いレアじゃ……小指がつりそう」
「と言う訳で。ハーニ、今回の任務も任せたよ」
「ちょ、、 またですかー!?この間も私…てか今月何度目ですか!!」
「やっぱり俺みたいのが仕切るより君達のように優秀な後輩が仕切ってくれた方が、ね」
「はぁ… って、また一人でCD買いに行くんですね?でしたら代わりに私の分もまたお願いしますよ」
「はいはい。お、全員揃ったみたいだね。 じゃあ、そろそろ任務の説明と行こうか。今回は――」
あの後、一時間も経たない内にミカから連絡が入った。
あの傷害事件に関して、彼の措置は三日間の謹慎処分の上事務の仕事を手伝う形になった。
その間は副隊長が率先して指示を行っていたが、事件の情報は彼を含め他の隊員や周りの小隊長には行き渡っていない。
代わりに一般天人女性へのセクハラ言動による処分という話になっていた。
かと言って、咎めたりした者はそれ程いなかった。
普段から女性の扱いに慣れている所からして、彼ならやりかねないだろうと考える者も多かったから。
寧ろハーニより年上の女性天使からは「隊長にならセクハラされても良い」「自分がされたかった」という声も上がっていた。
メルティやコカトリス退治の任務に同行した少年下級天使は疑問符を浮かべていたり。
そんなこんなで、ここ三日間はやりにくかったと改めて思う彼女がいた…。
「――以上。さっきも話したけど、ハーニ。またお願いするよ」
「は〜い」
一通り任務の説明を聞いた後で直ぐに歩みを進めようとするも、彼女は立ち止まり、小悪魔のような笑みを浮かべ、言い放つ。
「そう言えば…私、まだあの事で隊長の口から謝罪の言葉を聞いてない気が……」
「っ!! それもそうだね。あの時は、ごめ――」
「冗談ですよ。 先程言ったように、私の分のアルバムも買って来てくれたらチャラにしますから。勿論初回盤で。 と言う訳で、行ってきます」
「ああ。健闘を祈るよ」
任務先まで向かって行った後輩達の背中を眺めながら、彼はもう一度あの時の決意を思い出す。
自分の中にある「悪魔」の力はいつか友人・後輩――守るべき者達のために使おう、と。
幾ら年月を経ても、願っても消せない記憶なら。
(そうじゃないと…皆、浮かばれないよな)
再び穏やかに口角を上げると、ラオンも自身の用事を果たすべく城外へと歩みを進めた。
fin.