※非公式設定アリ
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それはどのような場所の、
どこの城であったか
時刻は、夜。
真っ暗闇の城の中、1つの部屋だけポツンと小さな灯りが瞬いていた
部屋の中には、ありとあらゆる書物が、棚の中にその身を所狭しと並べている。
そしてその部屋の中心には、緋色の髪を長く伸ばした長身の異形が頬杖をついていた
ここは…この城の主の書斎。
「…近々、大きな戦いが起こる…程なく僕の所にも戦火が及ぶだろうな」
誰に告げるでもなく、異形は自らの手を伸ばし、空を掴んだ
「その戦乱の中…この力を持ってして、この城を守ることが果たして…」
静かな書斎に、異形の呟きが響く
そう、彼には悩み事があった。
この異形は異形にして、とても人格的な思想を持ち合わせている
たしかに、他の魔族たちのように魔王を目指した時もあった
だが今やこの城には、多くの孤児たちの、安堵しきった寝息が響いている
魔王として戦いに赴く最中や、度重なる小規模の戦乱の中、ここに辿り着いた孤児たちを率先して迎え入れていく内に、
いつしか彼の目的は、魔王としてこの世を統治することではなく、幼い孤児たちに戦火が及ばぬよう守り抜く事になっていた
当初は警戒心から熟睡できずにいた孤児たちも、今は安心しきって可愛い寝息をたてている…
それはひとえに、人ならざる彼の真摯な対応に応えてのことだろう
そんな時代の犠牲者である彼らを、少しばかりの兵と自分の力だけで守り抜く事ができるだろうか。
悩みの種は他にもある。
最近、近くの魔王軍がこの辺りを支配下に置いたらしく、自分の城にも攻めてきているのだ
一度は退けたが…このままでは時間の問題だろう
「…期を計らうにはあまりにも時間が足りない、先の戦いで兵も疲弊している…」
…いつの間にか、たっぷり淹れておいた紅茶のカップは空になっていた
「ふ…この僕がこうも弱気になるとはな…」
不安は喉の渇きを更に増すように募る
紅茶を淹れなおし、気分を落ち着かせようと彼は立ち上がった…と、
同時に、その場から飛び退いた
すると彼が今までいた場所が、楕円形に燃え上がった。
彼は彼自身記憶に新しいこの魔法を知っていた
この癖のある汚い炎の並び…本来のそれとは似ても似つかないこの魔法は、つい数日前にこの城に攻めてきた魔王軍の魔法に他ならない
燃え上がる書斎を気にもとめず、彼は魔法の出所に向かって吠えた
「…っ!これは、一体どういう真似だ?名も知れぬ魔王軍よ!」
異形が吠えるその先には、強固な甲冑に身を包んだ者が数名。
その中の一際大きい者が前に歩み出、威厳ある言葉使いで淡々と言い放った
「魔界七十二獣、ラビアデカ。
これから起こる大きな戦の事は知っているな?
我が軍も天使に遅れをとるわけにはいかぬのでな、早急に力を集める必要が出来たのだ。
貴公のその類い希なる力を我が軍の為に使ってもらう」
顔を覆った兜からは、相手の様子は伺いしれない
ラビアデカは、力を込めた手を勢いよく振り下ろした
振り下ろした先の絨毯が衝撃で切り刻まれる
「僕の力を…?脆弱な魔王軍の一兵士が何をほざくか!!」
言葉とは裏腹に、彼の頭はどうこの場をやり過ごすかとひたすら巡っていた
このままでは多勢に無勢、更には孤児や疲弊しきった兵でさえ眠りについている
怒声と威嚇、これが彼の精一杯であった。
そんな彼を見透かしているのか、魔王兵は微笑する
「元より貴公に拒否権はない。もはやここは我が軍に包囲されているのだ。
穏便に事を進んでくれると有り難いのだがな…
貴公とて、大事な孤児たちに戦火を及ばせたくはないだろう?」
そういうと、魔王兵はこちらへ歩み寄る
表情を伺いしれない兜からは、なぜか彼を嘲る顔が連想できた
「…ッ、下衆が!!力では勝てぬと踏んで卑怯な手を…ッ!?」
唸る彼の顔を、魔王兵は思い切り殴りつけた
勢いで倒れ込むのを踏みとどまり、彼の爪が魔王兵の首筋めがけ襲いかかる
「…お前は、もはや我らの配下なのだ。
少しでも舐めた口や寝首を掻こうものなら…この城の住民の安否は保証できぬが?」
…爪は、相手の兜を容易く切り落としたが、勢いはそこで止まった
「…なに、これから共に戦うんだ、その仲間の顔くらいは知りたいと思ってね…」
彼は冷静に、笑みを浮かべて腕を下ろし、体制を立て直す
…もう片方の握った拳からは、血が、滴り落ちていた。
――――――――――
「…戦場の死神?」
ラビアデカが魔王軍の下についてから、何月かが経ったある日、魔王兵が口々にその話をしているのを耳にした
危惧していた天使と魔族の大きな戦争は今や現実となり、もうどこにも安全な場所などない
つい先刻も、天使の小隊と戦いを繰り広げた所だった
戦場の死神…この戦争の中、多くの魔族や著名な魔王を葬っている天使の俗称らしい
「…ふ、閃光といい戦龍といい…これではどちらが悪か判らないな」
彼は小さく呟くと、戦地に赴いた
もう夕暮れだというのに、また天使の小隊が現れたのだ
「…いや、この戦いで善悪を判断するものなど存在しないか」
夕暮れに映える緋色の髪を揺らし、彼は本来守りたかった者たちとは全く違う者たちの為に戦う。
光の宿らない瞳をした彼の思考は、無言で出てしまった城の事。
城の者たちは大丈夫だろうか、主の居なくなった城で、あまりにも非力な彼らは今日も生きているだろうか
それだけが、気がかりだった
「フレアストーム!」
遠くで大きな火柱が巻き起こった
「たった1人の天使に全く歯がたたない!」
負傷した魔王兵が走り出し、近くの魔王兵長にすがりよる
「前陣はもはや壊滅状態…後陣も半壊状態です!」
それとなく周りを見渡す。
…なるほど、自分の戦いに集中していて気づいていなかったが、こちらの軍は完全押されている
「総攻撃だ!全員で攻撃を放て!」
兵長は残りの兵たちに怒鳴り散らす
冷静な判断が出来なくなっているようだ
兵長の命令に半ば自棄になった兵たちは、何の作戦もなく火柱の下の天使へと駆け、程なく地に伏せた
「む、無理だ…勝てる訳がない…」
怖じ気づいた兵長は後退りをする
いつもの威厳は全く感じられない
そんな様を、彼は無表情で見ていた
「ラ、ラビアデカ!なななにをしている!早く行かんか!!」
…これほどにも、見苦しい存在をみたことがあっただろうか
彼は、こんなものの下についている事がとても屈辱的だった
「確かに…僕の助けが必要なようだね」
残りの兵を切り抜け、こちらに走ってくる天使を見据える
「当たり前だ!!何のために貴様がいると思っている!!
あの城の者がどうなってもいいのか!早く行け!!」
「…ッ、わかった」
金色の髪をなびかせ、走り寄る天使の前に立ちふさがる
よく見れば、その天使は女性だった
「…!!
まさか七十二獣まで手懐けているなんて…」
金色の天使は剣を構え直す
非力そうな外見とは裏腹に、大きな威圧を感じる
彼は、極めて冷静に取り繕った
「手懐けるとは…猛獣のような言い方をしないでくれたまえ
…こう見えて、僕は紳士なんだ」
わざと挑発するように肩をすくめてみる
「魔界七十二獣、ラビアデカ…
プライドを捨て、魔王軍に下ったか!
お前に宿るその力を何だと思っている」
真っ直ぐに彼を見据え、天使は凛とした出で立ちで言い放った
…彼は、拳を握りしめた。
「…、大昔の事なんて…知らないなぁ。
上手に使ってあげないと、堕ちてしまうだろう?力は」
彼は言うや否や天使に襲いかかった
突然の猛攻に、いなすことしかできない天使。
同時に、残りの兵たちも天使目掛けて走り出す
…そうでもしないと、壊れてしまいそうだった
その時、大きな衝撃波が聞こえた
「な…何事だ!?」
今更冷静を取り戻した兵長が吠える
近くの兵がそれに応じた
「てっ、天使です!…黄金の襟、上級天使です!」
「人数は!?」
「…1人、1人で兵を次々と!」
その話を聞いていたのか、天使は小さく笑みを浮かべた
「きてくれた…これで、目の前の敵に集中できる!」
そう言うと天使は手のひらから炎を円形に燃え上がらせた、誰かのそれとは違い、正確に放たれた魔法は元の何倍もの威力を持ち、異形の体を襲う
それをどうにか乗り切り天使のいた場所に襲いかかる…が、
天使はひらりとかわし、横から切りかかった
傷口から溢れる赤い、血。
「お前は、なぜ魔王軍にいる」
「…話す理由も義理もない。
ただ、僕は此処にいなければ、守りたいものも守れないほどに…堕ちただけだ」
彼は、力を振り絞り全魔力を四つに圧縮した
並々ならぬ威圧に、天使は剣を構え直す
「…さぁ、終わりにしよう」
その言葉と共に、不規則な動きと不規則な形で、四つの魔力の塊が天使を襲う
「…くっ!」
四つの魔力は天使を囲み、一斉に炸裂した
土煙が起こり、誰もが勝利を確信し、歓喜の声を上げる中…
彼は、両手を広げて天を仰いだ
「…そうか…お前が…
魔王軍で噂の、戦場の死神」
彼が見上げるその先には、空を裂かんとばかりに剣を振りかぶる、金色の髪の天使。
「あいにく、私はそんな可愛げのない二つ名で呼ばれていないわ
それは、私の相方の名よ」
金色の髪が夕やけに映え、美しい。
さながら、戦乙女といったところか
「…孤児たちに、どうか…幸多き未来が有らんことを」
彼は振り下ろされる剣を逃げようともせず、受け入れた
――――――――
あれから、どれくらい時が経ったのか…
天使の城の、暗い牢獄の中に、異形は横たわっていた
まだ、息はある。
ただ、彼は生きているか死んでいるかと訊いたら、精神的に死んでいるのかもしれない
それは、ここに来てからほどなくして看守の天使たちの、その後の話を聞いてしまったからだ
「…ラビアデカのいた魔王軍、殲滅したらしいぞ」
「まぁ大天使やあの人がいればまず負けることはないだろうしな」
「逃げ出した奴らを追って城までいって殲滅したらしいな。
近くの拠点とみられた城も焼き払われたらしい」
「それは気の毒に…魔王の城じゃなかったらただの虐殺じゃないか」
「それでな……」
もう話は聞こえなかった。
あの魔王軍の近辺の城…
ラビアデカ自身の、城
主を失った、手負いの兵やか弱い孤児しかいない…あの城。
彼の全ては、自分の計り知れない場所、時間に…音も立てずに崩れさっていた。
――――――
ある時、牢獄の扉が開かれた。
「ラビアデカ、釈放だ。…一時的にだがな」
看守の中級天使は、彼の腕を強引に引っ張り、外へ連れ出した
どうやら戦争で致命的な傷を受けた天使の命を救うために、自分の力が必要らしい
もう、吠える気力すらない。
「…何だというのだ。
守るべき者たちの為に使うと誓ったこの力を…何故、僕は…」
彼の言葉は、誰の耳にも届くことはなかった
久しぶりにみる魔界の地。
以前より荒廃して見えるのは気のせいではないだろう
それほどに、この戦争は激化しているということだった
連れて行かれた先は、魔界には珍しく緑が残り、まだ戦火もさほど及んでいない美しい国だった
その国の中心部、大きな城の中庭に、闇色のローブに身を包んだ男が1人、佇んでいた
「だはは…連れてきたか、さあ…こっちへ来い」
品のない笑い声をあげ、男は酷く、冷たい瞳で手招く
だが、彼は全く動こうとはしなかった
業を煮やした天使の1人が、彼を背中からどつく
その様子をみて、男はまた品のない笑い声を上げる
「獣よ、恐れる事はない。
ただ、お前の力を我が貰い受けるだけだ」
もう待ちきれないとばかりに、
男は彼に歩み寄る
彼は、虚ろな瞳で男に問いた
「僕を、七十二獣を食らうか、男。
…お前は、力を得た先に、何を求めるのだ」
その質問に事もなげに男は、
短く答えた
「この国の未来を」
男の手が素早く伸びる
腹部に強い衝撃と痛みが広がり、堪えず彼は膝をつく
体中の力が抜けていく感覚…
だが、彼は、笑っていた
男も笑っている
新たなる力が、今まさに自分の中に流れ込んでくる事がこれほどない喜びだとでも言うかのように。
彼はその姿をまじまじとみる
その自己を高めることだけを欲し、目的のために手段を選ばない狡猾で、残忍な、瞳。
力を得るために自ら変異し、元に戻れなくなったことさえいとわない、無機質で、貪欲な体。
それは、孤児たちと出会う前、魔王を目指していたころの…自分の姿と重なっていた
「ああ…久しく忘れていたよ…」
今にも倒れてしまいそうな彼の瞳には、輝きが戻っていた。
今思えば、初めから孤児たちなど迎え入れず、自己を高めることだけを考えれば良かったのかもしれない
そうすれば、この男のように自分は賢く生きていただろう
だが、理性を持つ獣には、孤児たちを見捨てるなどという選択は現れなかった
それは…異形として生まれながら、ヒトでしか知ることのできない喜び、悲しみ、怒り…感情の全てを、知ることができた彼にとって必然の選択だったのかもしれない
「なまじ知識を蓄え…ヒトとして生きようとした獣の、末路…か」
それでも、と彼は爛々と緑の生い茂る木々を見上げる
風に揺られざわめく木々に、孤児たちの無邪気な笑顔を重ね…
彼は、笑っていた
「ふ…こう見えて僕は紳士なんだ、あまり品のない食らい方はしないでくれよ?」
…fin